世界不思議発見!三国志の時代の日本、西洋、インドの秘密を探る

2016年1月10日


 

三国志 まとめ

 

三国志は、180年~280年に中国で起きた出来事です。

この頃、世界でも様々な出来事が起こりました。

今回は、三国志の時代に世界で起きた出来事について紹介します。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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ローマ帝国の大衆浴場「テルマエロマエ」

 

ローマ帝国は、紀元前27年~1453年の間、地中海域で栄えました。

様々な人種・言語・宗教が混在していましたが、

強大な軍事力でもって支配していました。

イエス・キリストもローマ帝国で誕生し、

キリスト教は新興宗教として扱われていました。

 

テルマエロマエ

 

映画「テルマエロマエ」は、130年のローマ帝国を舞台にしています。

中国では後漢の時代です。

ローマ帝国の水道事情は当時の世界ではトップクラスです。

公衆衛生に秀でていたローマ帝国は、この頃から入浴の文化がありました。

そのお風呂文化を題材にしたのが映画「テルマエロマエ」です。

 

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バレンタインの始まり

 

またまたローマ帝国からです。

三国志も終盤の269年の出来事です。

ローマ帝国では若い男と女は一緒に住むことができませんでした。

しかし、2/14の女神ユノの日だけは、若い男と女が一緒に過ごし、

この機会を利用して結婚しました。

 

当時のローマ帝国は、軍事力を維持するために兵士の結婚を禁止しました。

これを破り兵士を結婚させていたのが、キリスト教司祭のバレンタインです。

これを知ったローマ皇帝は、司祭を2/15に処刑します。

その前日のユノの日と合わせてバレンタインデーとしました。

 

 

 

新たなペルシャの誕生

 

ローマ帝国の東にあるペルシャ。

ペルシャは、長年ローマ帝国と戦争を繰り返していたパルティアが支配していました。

しかし、226年にパルティアが滅ぼされ、ササン朝ペルシャが誕生しました。

このササン朝ペルシャは、ペルシャ帝国とも呼ばれました。

 

ササン朝ペルシャは、226~651年に渡りペルシャを支配していました。

日本とも交流があり、正倉院にはササン朝ペルシャの手工芸品が収められています。

また、源平合戦の平家は、ササン朝ペルシャの末裔とも言われています。

 

中国と関係が強いインド

 

インドでは、クシャーナ朝と呼ばれるイラン系の王朝が栄えていました。

このクシャーナ朝は、紀元前2世紀に匈奴に圧迫されて移動した

大月氏の末裔と言われています。

これについては、前漢書に大月氏の歴史が記されています。

 

このクシャーナ朝は、中国とも積極的な交流関係を持っていて、

魏に使節を派遣しています。

これに対して魏は、親魏大月氏王の金印を贈っています。

これは、日本の卑弥呼と同じ扱いを受けていたことになります。

 

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日本を支配していた邪馬台国

卑弥呼

 

中国が三国志の時、日本は卑弥呼の治める邪馬台国の時代でした。

その存在自体は、三国志で登場する魏志倭人伝でのみ伝えられています。

そのため、現在も邪馬台国が存在した場所は明らかになっていません。

 

邪馬台国以外にも小さな国が30個ほど存在し、これらの国を総称して倭国と呼びました。

邪馬台国とそれ以外の国の関係は、非常に悪く争いが絶えませんでした。

その中で卑弥呼は、魏に使節を派遣し、親魏倭王の金印を贈られました。

これにより、卑弥呼が倭国の王であると魏によって認定されたのです。

 

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三国志ライター黒太子の独り言

はじめての三国志ライター黒太子
今回は、三国志時代の世界で起きた出来事について紹介しました。

当時の世界情勢は、ローマ帝国、ペルシャ、中国が大国として存在していました。

特にローマ帝国と中国の歴史は、文献としてしっかりと記されていました。

このことは、この時代における優れた文明を持っていた証でもあります。

 

曹操探検隊

 

また、今回紹介したローマ帝国、ペルシャ、インド、倭国に中国を入れると、

ローマ~日本へ繋がるシルクロードになります。

多少、時代にズレはありますが、各国が世界と繋がっていたことになります。

 

キングダム 始皇帝

 

最後に、余談ですが英語で中国をCHINAと表記しますが、

これは中国最初の統一国である秦が語源であるとされています。

シルクロードでローマ帝国と秦が交流関係にあった名残りとも言えます。

 

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帝政ローマvs三国志

 

 

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黒太子

自己紹介: こんにちは、黒太子です。歴史については、日本から世界まで幅広く興味を持っています。 HNの黒太子は、ジャンヌダルクが活躍した百年戦争のエドワード黒太子からです。三国志は、歴史に興味を持つキッカケになった作品です。 噛めば噛むほど味が出るところ、知れば知るほど新しいことに出会うところに、特に魅力を感じています。

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