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この記事の目次
呂不偉のスペシャルプレゼン PR三カ条
まず、重たい馬車の車輪に負けないだけの嫪毐のウェポンの強度、そして、車輪から落ちないだけのウェポンの太さと長さと角度、そして大観衆が見ていても、しおしおにならないウェポンのタフさこの条件が揃わないと車輪は回るどころか落ちてしまいます。ただの卑猥な催しではない、これこそは嫪毐のウェポンを売り込む為の呂不偉のベストとも言えるプレゼンだったのです。
そして、嫪毐のウェポンの噂は欲求不満の太后の耳に届き、呂不偉に「内々に嫪毐をみたい」という打診がありました。こうして、呂不偉の企みは見事に成功したのです。
嫪毐、宦官と偽り、後宮に入る
嫪毐は、ここまでやり手の呂不偉の言いなりだったようです。自身の出世の為なら、人殺しも平気で出来るような呂不偉ですから、嫪毐が「出来ない」と拒否したら口封じで殺したでしょう。それなりの大金をもらい、その日暮らしからは逃れたものの、嫪毐は、本当に大丈夫なのか?と生きた心地がしなかったと思います。
何しろ、「国母と敬われる太后を性的に満足させろ」という命令です。普通の神経では、とても受ける事が出来ない恐ろしい事です。ともあれ嫪毐は身分を偽り宦官として太后の側に仕えるようになります。
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太后を満足させる嫪毐、そして彼に野望が産まれる
太后は嫪毐のウェポンにすぐに夢中になりました。そして、嫪毐も太后の欲求に負けないだけの力を持っていたのです。太后のいる後宮は、呂不偉どころか、秦王政でも許可なく入れません。太后は国母として秦の全人民にリスペクトされる存在でした。その太后を虜にしている事で嫪毐の心には野心が生まれます。
「秦において、最も偉いのは太后だ・・その太后は俺様に夢中で俺の言う事なら何でも聞こうとする。もう呂不偉など恐れる事はない、いや、秦王さえも!!」
こうして嫪毐は次第に呂不偉の命令も聞かなくなります。太后が後ろ盾になっている事で、嫪毐になびく人間も出てきます。こうして嫪毐は、長信候に封じられ、多くの食客を囲う様になります。呂不偉の値踏みは外れ嫪毐は呂不偉や秦王も脅かす存在になっていくのです。
太后懐妊!嫪毐は反乱を決意する
やがて、太后は懐妊して二人の子供を産みます。もちろん、父親は嫪毐という事になります。いかに、後宮が密室でも子供がうろうろしている事まで隠し通せるようなものではありません。やがて、嫪毐と太后の密通は密告として秦王政の耳に入ります。政は動揺しますが事態が事態なので内偵を入れて慎重に確認しようとします。
もはやこれまでと思った嫪毐は、玉璽を盗み出して兵を動かそうとします。これが嫪毐の乱で、成功すれば嫪毐は、太后との間に生まれた子供を王位に就けて、自分は、丞相として国政を執るつもりでした。
嫪毐の乱失敗、その哀れな最後
ところが、嫪毐の反乱は、とっくに秦王政の織り込み済みでした。反乱は呆気なく鎮圧されてしまいます。嫪毐は、王位を狙った大罪人として、車裂きの刑に処せられます。車裂きの刑とは、首と両手両足を縄で五頭の馬に繋ぎ、合図と同時に馬を罪人の反対方向に走らせるという残虐な処刑法です。嫪毐の体はバラバラに引き裂かれて一瞬で絶命しました。さらに秦王政は、太后と嫪毐の間に生まれた二人の子供の処刑を命じます、太后は哀願して助命を願いますが無駄でした。
太后と呂不韋はどうなったの?
太后だけは、国母としての立場から何の罪にも問えませんでしたが、実の子供と愛人を息子に殺された衝撃は大きく、幽閉された雍(よう)城で失意の内に十年後、紀元前228年に死去しました。嫪毐を後宮に送り込んだ呂不偉の悪事も露見して、彼も数年後には命を断つ事になります。
三国志ライターkawausoの独り言
男のウェポンが巨大であるというだけで歴史に記録された嫪毐。しかし、最後には開き直り、自分の野望に正直に反乱を起した点を見るとただのイチモツ自慢の無能な人物ではなく、相応の山っ気を持つ、一癖ある人物ではないか?と個人的には思います。元々は、任侠の徒か、旅芸人ではないか?という推測も、この逆ギレ反乱の大胆さから考えた事でもあります。
キングダムでは、愛に飢えていた太后を本気で愛し、子供達を王位に就けて絶望的な未来を拓こうとした好人物として描かれている嫪毐、本当の所はどうだったんでしょうね?
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