中国最初の皇帝となった贏政=秦の始皇帝は不老不死であることを望み、その妙薬として水銀を服用した結果、逆に死んでしまったという伝承があります。現代では猛毒として認識されている水銀を、始皇帝はなぜ不老不死の妙薬と信じてしまったのでしょうか?
それには、水銀という物質の性質が大きな理由となっているようです。
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その前に、本当に始皇帝は水銀を飲んだの?
始皇帝が服用した薬が水銀を原料としていたかどうか、直接示す具体的な根拠はありませんが、それを裏付けると思われる記述が司馬遷の史記に記述されています。
始皇帝は生前、自らの陵墓建設に取り組みました。広大な地下空間に城や建物が作られ、天井には天体を模した装飾がされたといいます。そして地面には川や海が水銀を流し込んで作られていました。まさにそれは始皇帝が支配した世界そのものを模した、もうひとつの世界とも呼べる壮大な陵墓だったのです。
1974年に農民が兵馬俑を発見する
1974年、農民たちが無数の陶器で出来た兵士の像=兵馬俑を発見したことで、始皇帝陵の実在が確認されました。このときの学術調査で、始皇帝陵から採取された土から自然界の100倍にもあたる水銀が発見され、司馬遷の記述が事実であったことが裏付けられました。
始皇帝が水銀の存在を知っており、それを利用していたのは間違いなく事実でしょう。しかし、薬として服用したというのは、本当なのでしょうか?
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始皇帝が飲んだのは硫化水銀だった?
水銀とはご存知の通り、液体状の金属のことです。いまでは珍しくなりましたが、昭和時代には体温計の中の銀色の液体として、日常的にも馴染みのあるものでした。
日本人にとって水銀は、公害病である水俣病の原因物質としても知られており、水銀が猛毒であることは誰でも知るところです。現代人が水銀を薬と信じるなんてことは、普通はまずありえないことでしょう。
そもそも、あの銀色の液体を見て薬だと思えますか?個人的な印象なのかもしれませんが、少なくとも筆者個人はそうは思えません。いくら古代中国の人だったからと言って、始皇帝が茶碗になみなみ注がれた水銀をガブガブと……というのは極端な例えですが、まあそんなことはしなかったんじゃないでしょうか?
そこで、水銀という物質について調べてみると、面白いことがわかってきました。水銀は自然状態では液体と固体、二つの状態で採掘することができます。そのうち固体として採掘されるのは『辰砂(しんしゃ)』という赤い鉱石です。
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