【素朴な疑問】三国志の時代にも居酒屋ってあったの?

2015年10月13日




監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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当時の居酒屋には座敷はあったのか?

 

ただ、長椅子ばかりで座敷が無いのか?というとそうとも言えません。

三国時代の直ぐ後の晋の時代の竹林の七賢は、馴染みの黄おじさんの

居酒屋で大量の酒を飲んで、朝から晩まで清談に明け暮れていたと言います。

座席が長椅子ばかりでは酔っても横にもなれず長時間居れないでしょう。

 

また、劉邦の記述にも、酔って寝たとありますから、そこに横になれる

だけのスペースがあると考えるのが自然です。

 

ですので、推測ですが当時の居酒屋は、大半は土間で長椅子を並べ、

奥には、酔いを覚まして横になる座敷が幾つかあったのではと考えられます。

 

三国時代の居酒屋は料理を出したのか?

居酒屋と言えば、酒と一緒に楽しめる一品料理もありますが、

その辺りはどうなっていたのでしょうか?

 

実は、酒と一緒に料理が出るようなレストランの登場は、8世紀頃だと

考えられていて、三国時代は、まだ酒しか出ていなかったようです。

当時の記録を見ると酒を楽しむ描写はあっても、料理を食べる描写はないので

三国時代の居酒屋は純粋に酒を出す場所だったのでしょう。

 

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三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

中国人と酒の関わりは古く、伝説の夏王朝の頃から、

酒は人間を堕落させるとして禁酒令が発せられると同時に、

一定の消費が見込める事で酒に税金を掛けるという

発想が生まれたりしているようです。

 

ただ、禁酒令は、飲み助が多い中国ではあまり効果がなく、

酒税を引き上げる事で酒の消費に抑制を掛けたり、また、戦争の為に

穀物を備蓄する必要から酒の醸造量を決める為に政府が、

酒の流通を管理したりと様々な苦労があったようです。

 

今日も三国志の話題をご馳走様でした。

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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