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当時の居酒屋には座敷はあったのか?
ただ、長椅子ばかりで座敷が無いのか?というとそうとも言えません。
三国時代の直ぐ後の晋の時代の竹林の七賢は、馴染みの黄おじさんの
居酒屋で大量の酒を飲んで、朝から晩まで清談に明け暮れていたと言います。
座席が長椅子ばかりでは酔っても横にもなれず長時間居れないでしょう。
また、劉邦の記述にも、酔って寝たとありますから、そこに横になれる
だけのスペースがあると考えるのが自然です。
ですので、推測ですが当時の居酒屋は、大半は土間で長椅子を並べ、
奥には、酔いを覚まして横になる座敷が幾つかあったのではと考えられます。
三国時代の居酒屋は料理を出したのか?
居酒屋と言えば、酒と一緒に楽しめる一品料理もありますが、
その辺りはどうなっていたのでしょうか?
実は、酒と一緒に料理が出るようなレストランの登場は、8世紀頃だと
考えられていて、三国時代は、まだ酒しか出ていなかったようです。
当時の記録を見ると酒を楽しむ描写はあっても、料理を食べる描写はないので
三国時代の居酒屋は純粋に酒を出す場所だったのでしょう。
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三国志ライターkawausoの独り言
中国人と酒の関わりは古く、伝説の夏王朝の頃から、
酒は人間を堕落させるとして禁酒令が発せられると同時に、
一定の消費が見込める事で酒に税金を掛けるという
発想が生まれたりしているようです。
ただ、禁酒令は、飲み助が多い中国ではあまり効果がなく、
酒税を引き上げる事で酒の消費に抑制を掛けたり、また、戦争の為に
穀物を備蓄する必要から酒の醸造量を決める為に政府が、
酒の流通を管理したりと様々な苦労があったようです。
今日も三国志の話題をご馳走様でした。
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