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兵馬俑の凄さ、当時の陣形そのままで埋まっていた
兵馬俑は発見されたのは1974年とつい最近、干ばつで井戸を掘っていた時に偶然に出土したんだけど、実際に穴を掘ってみて当時の人は驚いた。それは、8000体という兵馬俑の大半が壊れる事なく2200年前の姿のまま、戦の陣形を整えて立ち続けていたからだ!!
それは、左軍、右軍、中軍、軍幕(ぐんばく:司令部)という具合に別れていてこれから発掘に入る人間を討伐せんという気迫を持って見えたらしい。元々、兵馬俑は、始皇帝陵の東、1・5キロの地点から出土し、そのさらに東には、秦が滅ぼした六国が存在した。
始皇帝は自分の死後、その六国が秦に攻めてこないように不死の軍団を配置して、秦の栄光を守ろうとしたのだ。ただの副葬品ではない、始皇帝の秦帝国存続への執念を伝えてくれる兵馬俑は、ただ、それだけでも凄いのである。
今回の始皇帝と大兵馬俑の一番の見どころを教えよう!!
今回の東京国立博物館の始皇帝と兵馬俑は、その発掘された時の、整然と隊列を組む兵馬俑を一部ではあるけど再現している。精強な秦の軍団に取り囲まれた威圧感と恐怖を体験できるぞ!!!
kawausoは、一応分別のある大人だからおしっこはちびらなかった。まあ、大の方は危なかったけどね(爆笑)
兵馬俑が教えてくれる多民族国家 秦
兵馬俑の顔には、モデルがあり、それぞれ違うというのは以前に説明したが、その顔形は、3パターンに別れている。純朴そうでふっくらした顔をしているのが関中の人、丸顔で下顎が発達しているのが巴蜀(はしょく)の人そして頬骨が高く精悍な体型をしているのが隴東(ろうとう)の人だと言われている。
これは、何を意味しているのか?と言うと、秦が多民族国家で、様々な民族から才能がある人を集めているという事を意味している。秦が元々辺境の国として差別され、ろくな人材が来なかったので、家柄や経歴にとらわれずに、広く他国に門戸を開いたというのは、中国の歴史ではよく知られているけど、兵馬俑はまさに、それが事実であったという事を証明しているんだ!!
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古代人の造ったものなんか大した事ないと思っているそこの君!始皇帝と兵馬俑を見たら、絶対にその印象が代わるぞ。万が一の為に、おむつを用意しなと言いたくなる位だ!!
千年帝国を目指した始皇帝の夢は、たった15年で潰えたけど、その夢の一部は兵馬俑として、2200年たった今でも生き残っている。始皇帝が追い求めたロマンの一端を我々も味わってみようじゃないか!
特別展「始皇帝と大兵馬俑」展示会公式サイト
会 期: 2015年10月27日(火) ~ 2016年2月21日(日)
会 場: 東京国立博物館 平成館(上野公園)
開館時間: 9:30~17:00(入館は閉館の30分前まで)
(ただし、12月18日までの金曜日、10月31日(土)、11月1日(日)・2日(月)は20:00まで開館)
休館日:月曜日
(ただし、11月2日(月)、11月23日(月・祝)、1月11日(月・祝)は開館。11月4日(水)、11月24日(火)、1月12日(火)は休館)、年末年始(12月24日(木)~2016年1月1日(金・祝))
観覧料金: 一般1600円(1400円/1300円)、大学生1200円(1000円/900円)、高校生900円(700円/600円)
詳しくは、公式サイトでも始皇帝と大兵馬俑の魅力を紹介しています。
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