113話:老将・黄忠死す、次々と天に還る五虎将軍

2015年10月20日


孫権 劉備 対立

 

孫権(そんけん)が魏と結んだと聞いた、劉備(りゅうび)

即座に水陸両面から呉に軍勢を進めます。

 

孫権はすぐに、孫桓(そんかん)と朱然(しゅねん)を迎撃に向かわせますが、

父の仇討ちに燃える張苞(ちょうほう)と関興(かんこう)の

獅子奮迅の活躍に打ち破られました。

 

前回記事:112話:怒れる劉備は70万の大軍で呉を攻める

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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藩璋と周泰が五虎将軍、黄忠に襲いかかる

 

 

大勢を立てなおした呉軍は、藩璋(はんしょう)、周泰(しゅうたい)

大将に再び、襲い掛かります。

これに対して立ち向かったのが五虎将軍、黄忠でした。

 

黄忠:「若いものばかりに任せてはおけません、どうか、ワシにも手柄を立てる機会を!」

 

黄忠(こうちゅう)は、若い張苞、関興の活躍に触発されて劉備に直談判します。

 

劉備:「いやいや、老将軍、もう、お年なのですから無理をせず、

どうか、後陣から若い者を指導監督してやって下され」

 

劉備にそう言われて、引き下がる黄忠ではありません、

余計に発奮して、是非にも先陣をというので劉備は許可します。

 

黄忠:「有り難い、呉の連中を蹴散らしてご覧にいれましょう!」

 

黄忠は、勢いよく飛び出し、藩璋と周泰の軍勢を一度は追い払う

大活躍を見せます。

 



手柄に逸る黄忠

黄忠

 

ところが、藩璋、周泰が、再び軍を立てなおすと苦戦します。

張苞や関興は、敵が大軍なので一度引き上げて体勢を整えましょうと

黄忠に進言しますが、手柄に逸る黄忠は聞きません。

 

黄忠

 

黄忠:「馬鹿な!何のこれしき、、ワシはまだまだやれるぞ!!」

 

黄忠は、張苞や関興が止めるのも聞かずに、数十名の部下と

共に、藩璋の本陣に突入します。

 

 

藩璋軍はたった数十名の黄忠軍に狼狽して崩壊し、

藩璋は、慌てて、馬で敗走してしまいます。

 

黄忠:「はっはっは、呉の将は皆、腰抜けか!待てい!!」

 

黄忠は、藩璋を更に単騎で追いますが、そこに落とし穴が潜んでいました。

馬忠(ばちゅう)という呉の武将が、黄忠に背後から矢を放ったのです。

 

「うぐっ!!」

 

矢は黄忠の肩に深々と突き刺さります、肩に力が入らず黄忠は落馬しました。

 

仕留めようとする馬忠に黄忠はどうする?

 

 

馬忠は、喜び勇んで、黄忠を仕留めようとしますが、そこは黄忠、

肩を庇いながら、馬忠と馬忠の兵の攻撃を振りはらいます。

 

馬忠:「なんだ、このジジイ、死に損ないの癖にしぶといぜ!」

 

その時、黄忠を心配して後を追っていた、関興と張苞が黄忠を見つけます。

馬忠は、分が悪いとみて、部下と共に逃走しました。

 

黄忠は、二人に担ぎ込まれて、本陣に戻りますが、矢には毒が塗られ、

時間が経過するごとに、黄忠の顔色は悪くなります。

 

黄忠の危機に駆けつける劉備

劉備 危機一髪

 

黄忠が危ないと聞いた劉備は、慌てて駆けつけます。

 

劉備:「老将軍、済まなかった、わしが、お主を年寄りと言ったばかりに

お主に無茶をさせてしまった・・」

 

劉備が、涙を流して詫びると、黄忠は首を振りました。

 

黄忠:「なんのぉ・・勝負は時の運、これは拙者のヘマで御座る、、

陛下の責任ではござらん・・」

 

劉備が、うなだれていると、黄忠は最期の力を振り絞るように

起き上がり、劉備に向き直りました。

 

黄忠:「陛下と、過ごした十余年、楽しゅうござった・・

あの曹操と互角に戦え、夏候淵まで斬る手柄も立てた・・

荊州の片田舎で、つまらぬ太守に使われ、一生を終わる筈であった

この老いぼれに武人の誇りを下されたのは、陛下でありますぞ。

礼を申し上げたいのは、拙者の方でござる・・」

 

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黄忠の最期の望み

黄忠

 

劉備:「こ、、、黄忠、、わしは・・わしは・・」

 

黄忠:「陛下、老いぼれの最期の望みでござる・・

どうか・・どうか、呉と魏を滅ぼし、天下を取って下され・・」

 

黄忠は、そういうと仰向けに倒れ、再び目を開ける事はありませんでした。

黄忠漢升、享年75歳、戦い続けた男の見事な最期です。

 

劉備:「これで、五虎将軍を3人まで失った、、なのに、呉を討つ事さえ出来ぬ

わしは、先陣に立ち、兵士と苦楽を共にするぞ」

 

劉備は、宣言し自ら兵を率いて、前線に立つ事になります。

 

正史の黄忠はどうだったの?

実は,正史三国志では、黄忠は西暦220年、

劉備が漢中を制圧した頃に病死したと書かれています。

 

夷陵の戦いでの黄忠の活躍は演義の全くの創作であり

黄忠は戦いに参加してはいないどころか、この世にいないのです。

 

ですが、一生を戦場で過ごし、子供にも先立たれた黄忠が病死では可哀想、

せめて、最期は華々しく戦死させてやろうという人々の思いが、

黄忠を物語の上で甦らせ、呉軍を追いまわさせたのです。

 

こんなにも読者に愛された黄忠は、幸せ者だったと言えるでしょう。

 

今日も三国志の話題をご馳走様でした。

 

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次回記事:114話:蜀キラー陸遜、劉備を打ち破るための不気味な沈黙

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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