田豊(でんほう)とはどんな人?優れた策をいくつも進言するも全てが無駄になった智謀の臣

2016年1月21日


 

朝まで三国志 袁紹

 

袁紹(えんしょう)には優れた智謀の臣が二人いました。一人は情報を解析し、優れた知略を持っていた沮授(そじゅ)。もう一人は智謀と見識の高さで袁紹に的確な進言を行った田豊(でんほう)。この二人からでる献策はことごとく的確で、袁紹が彼の献策をもし一つでも採用していたら、三国志は成立しなかったかもしれません。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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後漢王朝に就職

 

田豊は謀略と機略に優れ、広い知識を持ち地元で評判の高い人物でした。後漢王朝は田豊の名声を聞きつけ、彼を大尉府にスカウトします。田豊はスカウトを受けて大尉府へ就職します。彼は数年後大尉府から朝廷に仕えることになります。彼は朝廷に仕えますが宦官が朝廷で幅を利かせ、賢臣が省かれている状況が気にくわず、朝廷での仕事を辞めます。

 



袁紹の丁重な姿に魅了され仕える事に

袁紹が宦官を惨殺に行く

 

田豊は朝廷での仕事を辞めた後、冀州の韓馥に仕えます。しかし韓馥は袁紹の脅迫にビビッて冀州を捨て、逃げます。田豊は韓馥が逃げてしまった事に失望し、しばらく家に引きこもります。家に引きこもり毎日書物を読んで過ごしていました。そんなある袁紹が自ら家に来て「私の臣下になってくれ」と頭を下げてお願いします。田豊は袁紹のこの姿を見て、「分かりました。これからはあなた様にお仕えいたしましょう。」と袁紹に仕える事にします。

 

今こそ曹操を討伐する最大の好機

劉備 曹操

 

袁紹は曹操の討伐するため官渡に軍勢を出陣させます。曹操も自ら軍勢を率いて官渡や白馬などの重要拠点に兵を出陣させ、袁紹に対抗します。この時袁術討伐に向かっていた劉備が徐州で、曹操に反旗を翻します。曹操は劉備を討伐するため自ら軍勢を率いて出陣します。田豊は劉備が徐州で独立したと知らせを受けると、袁紹に「曹操は自ら劉備討伐に向かったそうです。奴がいない今こそ曹操を討つ最大の好機です。出陣しましょう。」と進言します。袁紹は「今、オレの息子が風邪ひいて看病しないといけないから、また今度な」と田豊に出陣できない理由を告げます。

 

杖を地面に叩きつけて悔しがる

 

田豊は袁紹が自らの進言を聞き入れなかった事に激怒します。彼は家に帰ると杖を地面に叩きつけ「今が最大の好機だと言うのに、子供の看病だからと言って出陣しないとは、天下を取る気があるのか怪しいものだ。」と部屋でブチ切れます。

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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