中国史好きの皆さんが密かに気になっているものがあるかと思います。
そう、トイレです。
大声で語るには憚られるものの、ついつい話がつきないのがトイレネタ。
特に日本人のトイレに対する一種の情熱ともいうべきこだわりは世界でも類を見ないでしょう。
一方、「你好トイレ」をはじめ、日本と全く異なるトイレカルチャーを持つ中国ですが、
古代においてはどうだったのでしょうか。
現存する文献史料や出土した考古文物から、
実はトイレにもいくつか種類があったことが分かっています。
この記事の目次
豚便所
(画像出典元:wikipedia)
古文で「圂(溷)」という漢字があります。
囗(囲い)の中に豕(豚)がいる字形から分 かるように本義は豚小屋ですが、
昔は豚小屋とトイレがくっついていることが多かったため、両方の意味で使われました。
前漢に作られた字書『説文解字』ではこの字を「廁のこと」としています。
これは庶民から貴族階級までポピュラーな形態だったようで、
豚便所をかたどったミニ チュア模型が幾種類も発見されています。
それらを見ると、総じて野外の壁や垣で囲われ た中に豚がおり、
その真上や横脇の高いところにトイレが設置されています。
春秋時代の歴史書『国語』に、
周の文王の母・太任が豚小屋の上で用を足し......という下りがあることから、
豚便所は春秋時代にはすでに存在していたと考える人もいます。
漢の高祖劉邦の皇后・呂雉の怖い話「人彘(人豚)」
また漢の高祖劉邦(りゅうほう)の皇后・呂雉の怖い話「人彘(人豚)」の名前の由来もこの豚便所です。
かなり過激な内容なので、気になる方のみ調べてみて下さい。
この豚便所、現代でも中国南方など一部の地域には残っているようですが、
その昔は韓国(朝鮮)や沖縄(琉球)にまで伝播していました。
豚は雑食で人糞も食べるので、人の排泄物を餌の一部にして処理したのです。
現在は衛生上の問題からほぼ消滅(日本では禁止)していますが、発想としては合理的ですね。
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ボットン
(画像出典元:wikipedia)
日本人にもお馴染みのボットン便所。
エリート必修テキスト『春秋左氏伝』にはお腹が張って
トイレに行き落っこちて死んでしまった成公の話や、
『史記』には簀巻きでトイレの中に放置され宴会の酔っ払い客に尿をかけられた范雎の話があり、
かなりの深さないし広 さがあったことが窺えます。
ただしこれらについては詳細な描写がないため、豚便所での出来事という可能性もありえます。
おまる
『漢書』に、万石君(石奮)は孝行者で、
五日に一度の休暇にはいつも実家に帰り親のために「廁牏」を洗ったとあります。
この「廁牏」、トイレの踏板だとか下着などと解釈が割れていますが、
木箱型便器という説もあります。
もし便器だとすれば、床下はめ込み式 か床上置き式かはさておき、
洗えるくらいなのでポータブルなトイレだったのでしょう。
水洗
(画像出典元:http://news.hexun.com.tw/)
なんとまさかの水洗式です。
それは「河南永城芒碭山漢梁孝王」という前漢の王侯のお墓から発見されました。
きっとあの世でも不自由しないように作られたのでしょう。
一室の角に設置された石の便座には中央の隙間に穴が掘られ、
丁度今の洋式トイレのように壁 を背にして座るようになっています。
壁には手すりもついており、とてもバリアフリー。
専門家によると背面にある溝から水を流して洗浄したのではないかとのこと。
ただ、「徐州 獅子山西漢楚王墓」という別の前漢の王侯墓から発見された同じ形のトイレには穴も溝もなく、
水汲み用と思われるタライが横に備えられているだけなので、
実際本当に水洗式なのかどうか確かなことは言えません。
それでも文明的な設備といえます。
日本では奈良時代には水洗式トイレが発明されていましたが、
もしそれより約 500 年も早く作られていたとすれば驚きですね。
王様トイレ
毎度お馴染みの3大マナーバイブルの一つ『周礼』には、
王様の生活衛生を管理する「宮人」の仕事として、
トイレの不浄および悪臭の除去が挙げられています。
この時の王様トイレの構造は井戸+溝渠+溜池のようなイメージで、
井桁=便器で用を足すと、溝渠=配 管を通って下の溜池=下水に落ちるようになっており、
宮人はそれを清掃していたと考えられます。
こちらも現代のトイレの構造によく似ているといえるかもしれません。
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