秦王政は天下統一を果たし、中華初の統一国家を打ち立てます。
しかし彼が天下統一を果たすことができたのは、
秦の歴代の王と宰相達の努力の結果です。
今回は秦の天下統一を速め、歴代の秦の宰相の中でも特筆すべき
大功を挙げた魏冄(ぎぜん)の生涯を追ってきたいと思います。
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この記事の目次
魏冄って何者!?
魏冄は宣太后(せんたいこう)の甥です。
彼女の一族の中で一番賢かったため、官職を与え、国政に参加させます。
武王が力比べをして、亡くなった後、秦の国内は武王の弟達によって
後継者争いが勃発。
新たな王を立て秦国一の権力者へ
魏冄は燕に人質になっていた昭襄王を呼び戻し、彼を王に擁立します。
昭襄王は魏冄の協力によって、他の後継者争いに名乗り出ていた
王を蹴散らし、秦王として君臨する事になります。
魏冄は新たな秦王である昭襄王が君臨すると
彼の権力は昭襄王を立てた立役者として、大いに取り立てられ
秦国内で逆らう者はほとんどいなくなりました。
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宰相として君臨
趙王は武霊王の時代から秦の宰相となっている
桜緩(ろうかん)が、趙国の不利を招きそうなので、
辞めさせるよう魏冄に依頼。
魏冄は趙王の依頼を受け、桜緩を追放します。
昭襄王は桜緩の追放後、魏冄を宰相に任命します。
白起(はくき)を起用
魏冄は一部隊の隊長であった白起を起用し、将軍に任命します。
昭襄王のお気に入りでの将軍であった向寿(しょうじゅ)と交代し、
白起を前線の将軍にします。
白起は将軍になると、韓と魏へ侵攻します。
韓軍と魏軍は連合して伊闕(いけつ)の地で決戦を行い、完膚なきまで叩き、
大勝利を得ます。
この大勝利により、白起の名は全国に轟き、白起を起用した魏冄は昭襄王の
信頼を勝ち取ります。
こうして秦の天下統一への道が始まります。
穣侯(じょうこう)魏冄の誕生
昭襄王は魏冄の宰相としての能力を認め、信頼します。
しかし魏冄は病の為、一時的に宰相を辞める事になります。
二年後彼は再度宰相に起用され、再び秦を強国にするため色々な
政策を開始していきます。
昭襄王は魏冄が戻ってきたことを喜び、彼に穣(じょう)の地と春秋時代
曹国の首都であった陶(とう)の地を与えます。
こうして各国は魏冄を穣侯もしくは陶侯と呼ぶようになります。
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