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魏冄(ぎぜん)とはどんな人?政治・軍事両方で大活躍した秦の名宰相

2016年2月17日


監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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将軍としての能力も優秀:第一次魏討伐戦

 

 

 

魏冄は自ら大軍を率いて魏へ侵攻を開始します。

魏冄は河内(かだい)の地をいとも簡単に攻略。

その後彼は魏の城を六十城陥落させ、大戦果を挙げます。

三国志の時代ですらこれだけ城を落とした武将はいないでしょう。

また春秋戦国時代でこれだけの大戦果挙げたのは白起と楽毅しかいません。

昭襄王は政治に優れ、将軍としての能力にも秀でた

魏冄を大いに褒め称えます。
 

白起楚へ侵攻を開始

 

 

魏冄は白起に命じ、楚の攻略を命じます。

楚軍は白起率いる秦軍を迎撃。

しかし白起の戦略と統率のとれた軍隊運営の巧さになすすべもなく、

楚は白起に領地を削り取られてしまいます。

この戦いで功績を挙げた白起は魏冄から郢(えい)の地を与えられ、

武安君と称する事になります。

 

第二次魏討伐戦

 

 

魏冄は再び兵を率いて魏の息の根を止めるべく大軍を率いて出陣します。

彼は迎撃に出てきた魏の武将を敗走させ、魏の首都大梁を包囲。

このまま魏を滅ぼすチャンスであったが、魏冄は魏の大夫の説得に

より包囲を解いて、帰国します。

翌年魏は斉と手を組んで秦に取られた都市を取り返しに、軍を出陣させます。

魏冄はこの報告を受けると大いに怒り、すぐさま大軍を率いて出陣。

斉軍と魏軍に大勝利を収め、再び大梁を包囲します。

斉と魏の両軍に大勝利をおさめた魏冄は満足し、

軍を引き返して帰国します。

魏冄は権力において自らの右に出る者は一人もおらず、

戦えば敗北しらずの無敵で、まさに絶頂期でありました。

しかし無敵の宰相魏冄にも終わりが近づいてきます。

 

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新たな宰相范雎の登場

 

 

無敵の宰相魏冄は白起と共に各地へ侵攻し秦の領土を広げていきます。

そんな中一人の男が秦へ来ます。

その名は范雎(はんしょ)です。

彼は昭襄王に「宣太后の権力と魏冄の権力の高さは並ぶものが居ません。

また魏冄の弟らが王室よりも豪華な暮らしをしています。

このままでは王の権威は影を潜め、魏冄達が秦の国を運営する事になります。

王の権力を取り戻すためには、魏冄を追放するしかありません。」と進言。

昭襄王は范雎の進言に頷き、魏冄と彼の弟達を函谷関の外へ追放。

宣太后は魏冄が居なくなった事で権力は低下します。

こうして昭襄王は自らの権力を取り戻す事に成功します。

しかし秦の天下統一は遅れ、秦王政まで待たなくてはならなくなるのです。

 

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三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

魏冄は追放された時、宝物や家具など多数の車が函谷関を通過した

と言われて居ます。

この時の車の車両数は千両程であったとされています。

史記を記した司馬遷は魏冄を大いに褒め、「穣侯列伝」

列伝を立て彼の功績を後世まで伝えます。

こうして無敵の宰相魏冄の時代は幕を閉じ、新たな宰相范雎が歴史の

表舞台に立ち秦の国を経営していく事になります。

今回の春秋戦国時代のお話はこれでおしまいにゃ。

次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう。

それじゃまたにゃ~

 

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この記事を書いた人:黒田廉(くろだれん)

 

黒田廉

■自己紹介:

横山三国志を読んだことがきっかけで三国志が好きになりました。
その後の日本史・中国史を学びました。
またいろいろな歴史小説を読んでおります。現在はまっている歴史小説は宮城谷昌光氏の劉邦です。

■歴史人物:

張遼孟嘗君、張作霖など

■何か一言:

今年も頑張ってはじさん盛り上げていくにゃー!!

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