春秋戦国時代から秦の統一まで500年かかりました。この500年間には幾多の英雄や豪傑、軍師が歴史に名を残した時代です。今回紹介する范蠡(はんれい)も歴史に名を残した人物ですが、彼は何処で生まれたのか。いつ亡くなったのか全く分からない謎の人物です。
一体この人はどのような事をして、歴史に名を残したのか探っていきます。
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この記事の目次
越に仕えた天才軍師
范蠡は生まれも謎。亡くなった年も分かりません。しかし一つだけ分かっているのは、中国の南の国である越に仕え、「孫子の兵法書」で有名な孫武に匹敵する軍略で越王勾践を補佐した人物です。
勾践の父である允常は范蠡を重用。范蠡は允常に重用され、軍備増強に努めます。しかし允常は突如亡くなり、勾践が越王の位を継ぎます。勾践は父を供養する為、喪に服します。呉王闔閭は越王が喪に服していることを知り、隣国の越を滅ぼすべく、天才軍師孫武と伍子胥を引き連れ進軍を開始。この戦いで范蠡は奇抜な軍略を用いて、呉軍を破ります。
檇李の戦い(すいりのたたかい)
范蠡は死刑囚を先鋒に並べ呉軍迎撃の陣を敷きます。彼は呉軍が攻撃する前に、先鋒の死刑囚達へ合図を出します。すると死刑囚は一斉に自らの首を刎ねます。この異様な光景を目にした呉軍は戦意を挫かれます。范蠡は呉軍の指揮が低下した瞬間を見逃さず、呉軍へ総攻撃を開始。呉軍は越軍の攻撃に耐える事が出来ず敗退します。この時呉王闔閭は越軍の毒矢に当たり、呉国に帰るとすぐに亡くなります。こうして呉軍を破った越軍は追撃せず、撤退します。
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復讐に燃える呉軍に敗れる
呉王闔閭の跡を継いだ夫差は、父の敵である勾践を討つべく、孫武や伍子胥の補佐を受け復讐に燃える日々を過ごします。数年後、ついに越軍を打ち破り、父の敵である越に大勝します。越王勾践や范蠡は会稽山へ逃げ込みます。ここで范蠡は「王よ。恥を忍んで呉王に講和を持ち掛けなさい。その際呉王の側近に大量の賄賂を贈るべきです」と進言します。
勾践はこの進言に従い呉王夫差の側近に、大量の賄賂を贈ります。また勾践は美女西施(せいし)を夫差へ送り込むなどして、何とか講和へこぎつけます。しかしこの講和は勾践にとって非常に屈辱的で、彼は王の位から夫差の臣下として過ごす事になります。
呉へ復讐する為、色々な謀略を用いて弱体化させる
勾践は夫差の臣下として屈辱的な日々を呉で送った後、越へ帰国します。勾践は越へ帰ってくると早速范蠡に「国の政治を取り仕切ってくれ」と依頼。しかし范蠡は「私の才能は軍事に秀でており、国政には向きません。私より文種に政治を任せた方がいいでしょう」と文種を国政担当へ推薦します。勾践は范蠡の進言に従い国政を文種に任せ、軍事や謀略を范蠡に担当させます。范蠡は呉王夫差の側近に再び賄賂を大量に贈ります。さらに彼は呉の名将伍子胥を除くため、夫差との関係性を悪化させる様々な流言を放ちます。その結果、伍子胥は夫差の命により、自害。伍子胥が居なくなった事で呉の国力は低下の一途を辿っていき、范蠡の策は成功します。
一気呵成に呉へ攻め込む
越王勾践は呉軍の主力が北へ向かった事を聞き、范蠡に「そろそろ長年の屈辱を晴らす時だと思うのだがどう思う」と質問します。すると彼は「今こそチャンスです。攻めましょう」と賛成。勾践は范蠡の賛成の言葉を聞くと越軍を率いて呉へ侵攻を開始。越軍は呉の首都へ攻め込み、楽々と手に入れます。呉王夫差は、越軍が首都を陥落させた事を聞き、即座に軍勢を引き連れ引き返してきます。范蠡は呉軍が北から引き返してきたことを知り、勾践へ「呉を滅ぼすにはまだ力が足りません。ここはもう一度講和しましょう」と進言します勾践は范蠡の進言を採用し、呉との講和を再度結びます。
越王勾践ついに復讐を果たす
呉王夫差は、越との講和後も中原へ向けて兵を発します。越は呉軍が北へ向けて出陣している隙を突き、呉の領土を削り取っていきます。呉の講和から4年ついに越は呉へ決戦を挑み、ついに呉を滅ぼします。呉王夫差は勾践へ命乞いをします。勾践は夫差の哀れな姿を見て情を動かされ、命を助けようとします。范蠡は勾践の表情を見て夫差に情を動かされている事を感じ取り、
「彼の命をここで立たなければ、後に禍を残す事になります。」
と彼の命を助ける事に反対します。勾践は范蠡の意見を取り入れず、夫差を島流しにしようと決意しましたが、夫差は自害。こうして勾践は復讐を完了させます。
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