裴松之(はいしょうし)の神編集!異論反論ブチ込みまくりで三国志が激アツに!

2016年3月7日


 

曹操

 

正史三国志を書いたのは、西晋の陳寿(ちんじゅ)である事は有名ですが、

その三国志を多くの史料を駆使して補足して、魅力のある物語にしたのが

東晋末から宋初の裴松之(はいしょうし)である事は、あまり知られていません。

実は、彼の補足こそ、三国志を面白くしたと言っても過言ではないのです。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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裴松之は、陳寿の死後、80年位してから生まれた

 

裴松之(372~451)は、字を世期(せいき)と言います。

東晋の官僚、裴珪(はいけい)の息子で、先祖の裴微(はいび)は

魏に仕えていたようです。

8歳にして、「論語」や「毛詩」の内容に通じた秀才でしたが、

それをひけらかざす身なりはいつも質素であるという

典型的な儒者の居住まいでした。

 

西暦391年の殿中(でんちゅう)将軍より立身して、

以来、東晋の官僚を歴任します。

そして、405年、33歳の時には、

尚書祠部郎(しょうしょぎぶろう)になっていました。

 

裴松之の性格が分かる逸話

 

 

裴松之が尚書祠部郎になった頃、東晋では各地に先祖の功績を称える碑を

建立する事が大流行していました。

しかし、それらの碑は、極端に先祖の功績を美化し、捏造したものだらけで

これがそのまま伝わると、後の歴史が誤って伝わる危険がありました。

 

そこで、裴松之は、上奏し、碑の乱立を禁止すると同時に、

内容については、必ず国家の検閲が入るようにしたのです。

これにより、碑の建立は減少しました。

 

裴松之「んなこと言ったってオメェよお、嘘書いたらアカンだろォ?」

 

裴松之は、このように歴史の捏造に敏感な人だったのです。

 

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西暦429年、三国志に注釈を入れる仕事に就く

旅馬 三国志

 

西暦429年、東晋を倒した、宋の3代皇帝の文帝は、

学問を振興した名君として有名でした。

この文帝は、陳寿の三国志も読んだらしく、こんな感想を持ちます。

 

文帝「うーん、面白くはあるけど、さっぱりし過ぎてるな、

それとさ、ちょっと内容薄くね?コレ」

 

裴松之「任せてくだせェ、、俺っちが、もっと面白いビーム

じゃねえ、、歴史書に造り変えてみせまさぁ」

 

こうして、裴松之はドスの利いた声を響かせ、

陳寿の正史三国志を再編集する編集長の仕事を

請け負う事になります、オガッ!!

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kawauso

kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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