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袁盎(えんおう)は呉楚七国の乱が発生した際、副丞相である鼂錯(ちょうそ)を殺害するように
景帝に進言。
景帝は袁盎の進言を受け入れ、鼂錯を処断します。
袁盎はその後、呉王・劉濞(りゅうひ)を説得する為、元へ赴きます。
劉濞は彼を監禁し、殺害しようと試みますが、袁盎の元部下の活躍により、
窮地を脱し、洛陽に帰って呉王の状況を報告します。
前回記事:袁盎(えんおう)とはどんな人?国家の為にあえて諫言を発し続けた政治家 Part.1
呉楚七国の乱の終焉
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景帝は袁盎の報告を聞くと、周勃の嫡男である周亜夫(しゅうあふ)に軍勢を預け、
呉楚七国の乱を平定するように命じます。
その後周亜夫は各地の反乱軍を撃破し、ついに反乱軍の首魁である呉王を捕縛。
こうして呉楚七国の乱は平定されます。
楚王の宰相となる
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景帝は呉楚七国の乱が終結すると、反乱軍側の王であった
楚王・劉交(りゅうこう)の嫡男である劉礼(りゅうれい)を楚王に任命。
景帝は劉礼を楚王に立てた際、袁盎を楚国の宰相に任命し、
呉楚七国の乱で荒れた領地の回復に努めるよう命令を出します。
袁盎はこうして再び洛陽から離れ、宰相として遠隔地に赴く事になります。
劇孟を賞賛する
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袁盎は楚王の宰相となり、呉楚七国の乱で荒れ果てた地の復興を行っていきます。
しかし、完全に復興する前に彼は病にかかり、宰相の位を辞職し、故郷に帰郷。
袁盎は故郷で病を癒した後、町の人々と闘犬などを行いながら、
平穏な日々を送っていきます。
そんな中、洛陽の侠客である劇孟(げきもう)が彼を訪ねてきます。
彼は呉楚七国の乱の時、漢軍の総大将であった周亜夫(しゅうあふ)から
丁重にもてなされた事で、天下に名を轟かせます。
袁盎も天下の侠客である劇孟を丁重にもてなします。
袁盎が劇孟を丁重に扱っている事を聞いた富豪は袁盎に
「劇孟はギャンブルが好きで、いつも賭け事に興じています。
あなたはなぜあのような輩と親しく付き合っているのですか。」と問いかけます。
すると袁盎は怒り気味に「劇孟はギャンブル好きだけど、彼の母が亡くなった時、
葬儀に参加した人は千人以上が来たそうだ。彼にはそれだけの人数を引きつける
人徳があるのだ。
人は危機に陥った時に、他人に助けを求めても必ず助けてくれるとは限らないが、
彼は一度助けを求められたら、必ず助けてくれる。
今天下の人々が信頼している侠客は季心と劇孟だけだ。」と言い、
劇孟を批判した富豪とは縁を切ります。
袁盎は劇孟をもてなして、別れる際も丁重に礼を尽くして別れます。
この噂を聞いた人々は「袁盎様は立派な方だ。」と褒め称えます。
次代の皇帝について進言
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袁盎は隠居し、町の人々と交わりながら平穏な日々を過ごしていました。
しかし景帝は袁盎に度々使者を送り、漢の政策などの意見を聞いておりました。
そんなある日景帝は「梁王である劉武(りゅうぶ)が皇太子にしてほしいと嘆願してきたが
どのように思う。」と袁盎の元に使者を走らせ質問します。
使者は袁盎の言葉をもって景帝に拝謁します。
袁盎曰く「梁王を皇太子に立てない方が良いでしょう。」と反対。
景帝は彼の反対意見を受け入れ、以後梁王を皇太子にする話は無くなります。
この話しを聞いた梁王は大いに怒り、袁盎を恨み続けます。
刺客にアドバイスをもらう
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梁王・劉武は袁盎を亡き者にする為、刺客を放ちます。
この刺客は袁盎を殺す為、関中へ向かいます。
刺客は関中に入ると、町の人々から袁盎をどのように思っているか聞きます。
すると悪い噂は全く聞かず、彼の良い噂しか聞きませんでした。
刺客は袁盎の元を訪れ、「私は梁王に雇われ、あなたを殺害しようと思っておりました。
しかし関中の民は皆あなたを褒め称えており、あなたを亡き者にするのは諦めました。
だが安心してはなりません。
梁王の刺客があなたを狙っている可能性がありますので、気をつけてください。」と
告げ、刺客はその場を去ります。
袁盎は刺客からのアドバイスをもらいますが、
どのように気を付けたらいいのか分からず、不安に苛まれながら毎日を過ごします。
忠義の臣・袁盎の最後
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袁盎は刺客からアドバイスをもらった後、自分の身のふり方を占ってもらう為、
占い師に相談しに行きます。
占い師から適切なアドバイスをもらい、家路に着きます。
しかし帰宅途中の袁盎に梁王が放った刺客が彼に襲い掛かります。
袁盎はなすすべもなく、刺客に刺殺。
袁盎の傷は深く、その場で即死してしまうのでした。
三国志ライター黒田廉の独り言
袁盎は景帝から丁重に葬られますが、
景帝の孫である広川王(こうせんおう)劉去(りゅうきょ)に墓を荒らされてしまい、
中に収めてあった金銀などは全て持ち去られ、彼の墓は破壊されてしまいます。
漢帝国をより良い国にしようと考え、諫言を行い続けてきた臣としては、
非常に無念な結末を迎える事になってしまいます。
「今回の前漢時代のお話はこれでおしまいにゃ。
次回もまた初めての三国志でお会いしましょう。
それじゃまたにゃ~。」
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この記事を書いた人:黒田廉(くろだれん)
■自己紹介:
横山三国志を読んだことがきっかけで三国志が好きになりました。
その後の日本史・中国史を学びました。
またいろいろな歴史小説を読んでおります。現在はまっている歴史小説は宮城谷昌光氏の劉邦です。
■歴史人物:
■何か一言:
今年も頑張ってはじさん盛り上げていくにゃー!!
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