袁盎(えんおう)とはどんな人?国家の為にあえて諫言を発し続けた政治家 Part.1




劉邦と簫何

 

前漢は劉邦(りゅうほう)が天下統一した直後は功臣達も多く、漢の国は安定しておりました。

しかし劉邦死後、劉邦の妻が権勢をふるいます。

その為、呂氏が漢の朝廷で幅を利かせ、呂氏に逆らう者は次々に殺されて行きます。

呂雉の死後、呂氏一派は排除され、文帝・景帝の時代になります。

今回紹介するのは呂雉の時代に漢の臣となり、

相手が高位の人物や皇帝にはっきりと物を言い、

国家の為に身命を尽くした政治家である袁盎(えんおう)を紹介したいと思います。




兄の推挙で漢に仕える事に

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袁盎は楚の出身です。

父は盗賊を家業としていた為、楚の国から関中へ強制移住させられます。

彼は兄袁噲(えんかい)が漢の高官であった事から、兄の推挙により侍従に

任命され、漢王朝へ仕える事になります。




皇帝に周勃のイメージを聞く

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漢の功臣である周勃(しゅうぼつ)は群臣や皇帝から重く扱われている

臣下で、袁盎が漢に仕えた当時、丞相として活躍しておりました。

彼は会議が行われたある日、文帝が周勃を丁重に送り出している姿を目撃。

この姿を見た袁盎は文帝に「陛下は丞相をどのような人物であると思いますか。」と

質問します。

文帝は「国家柱石の臣である」と述べます。

 

「国家柱石の臣」とは違う

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彼は文帝に対して「丞相は功績を挙げた臣であって、国家柱石の臣ではありません。

そもそも国家柱石の臣とは主と共に生き、主が亡くなればともに死す臣の事を言います。

呂皇后が権勢を極めていた頃、呂氏一族が権力を握り、

丞相や王の地位を占めておりました。

この事態の時に周勃殿は軍を握っていたのにも関わらず、

この事態を改善しようとしませんでした。

呂皇后が亡くなった時、大臣や実力者たちが協力して、

呂氏一派に反抗を行うと軍を握っていた周勃殿が大臣達に協力し、功績を挙げます。

周勃殿はこうして功を挙げた臣であり、国家柱石の臣ではありません。

さて最近の丞相は陛下に対して傲慢な態度があるように思えるのに対して、

陛下は謙虚すぎるのではないでしょうか。

臣下と陛下との間で当然あるべき礼式を取らない事は、

陛下にとってよい事ではありません。」と諫言を述べます。

文帝は彼の意見を聞き、会議があると周勃に対して威厳のある態度を取り始めます。

 

周勃にキレられるも…

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周勃は文帝の態度が違ってきた事に違和感を感じます。

彼は文帝の態度が変わったのは、袁盎が文帝に諫言を行ったと聞き激怒。

そんな中、周勃は袁盎を宮殿で見かけ「俺はお前の兄と友人であるのにも関わらず、

貴様が陛下に俺の事を諫言するとは、思いもよらなかったぞ小僧。」と

大いに悪態をつきます。

袁盎は周勃に対して一切謝らず、飄々とした態度でその場を離れます。

その後周勃は丞相を辞めさせられ、領国へ帰る事になります。

 

周勃の罪を晴らす

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周勃は領国に帰ると、彼の側近が文帝に「周勃が反乱を起こそうとしている」と

でっち上げの報告をします。

文帝はこの報告を聞き、周勃を首都洛陽に呼び寄せ、彼を捕縛します。

王族や功臣らは誰一人として、周勃を助けようとしませんでした。

しかし一人だけ、彼の罪を晴らそうと動いた人がおりました。

その人こそ袁盎です。

彼は周勃の無実を証明する為、色んな所に手をまわして助命を図り、

様々な情報を集め、彼の無罪を証明します。

その後周勃は解放されますが、突然の出来事に大いに驚きます。

彼はなぜ釈放されたのかを側近に聞くと「袁盎殿が力を尽くしてくれたのです。」

と聞かされます。

周勃はこの事実を聞くとすぐに袁盎の元に行き、

今までの事を謝ると共に彼と親交を結んでいきます。

 

三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

古い国家を打ち倒して新しい国家が生まれる時必ず優良な臣下が集まります。

袁盎もその一人です。

彼は国家の為に丞相であろうと皇帝であろうと、間違った事に対して諌言を行います。

彼の諫言は中々厳しい者ですが、皆受けて入れていきます。

しかし、はっきりと反対意見を言う為、後に彼の身に禍が起こってしまいます。

【次のページに続きます】




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