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公孫瓚、袁紹、曹操、ビックネームを射止める劉備のコネ技
その後、劉備は、公孫瓚を頼り、次には、曹操を防ぐ名目で、
派遣された徐州では、病死した陶謙(とうけん)の後を継ぐ形で徐州を領有します。
次には、呂布(りょふ)に徐州を追われると曹操を頼って逃亡し、
今度は曹操の暗殺計画に一枚噛んで、曹操の下からも逃亡し、
曹操と敵対していた袁紹を頼って、その武将になり曹操と敵対します。
すんなりと書いていますが、普通、こうは簡単にはいきません。
劉備は、かつて公孫瓚配下として、袁紹と小競り合いを起こしていて、
また、曹操は、陶謙の仇でもあるからです。
一歩間違うと、飛んで火に入るになる所を、どうして劉備は、
スイスイと泳ぐ事が出来たのでしょうか?
こじつけでもいい、小さな繋がりで心の扉をこじ開ける
例えば、公孫瓚に仕官する時には劉備は、
公孫瓚が盧植に師事していた時の同門であるという事を強調したようです。
盧植の弟子は数千人単位であり、公孫瓚の中には、幽霊学生の
劉備の記憶はなかったと思います。
現実に蜀書先主伝には、具体的な盧植の弟子時代の
劉備と公孫瓚との逸話は何もないからです。
しかし、同じ師に従事した同門というのは兄弟弟子
(劉備が例え幽霊学生でも)という事で無下には出来ませんでした。
劉備は、こういう繋がりを使うのが大変上手い男なのです。
また、袁紹の所に転がりこんだ時には、かつて劉備が、
袁紹の子である袁譚(えんたん)を茂才(ぼうさい)で
推挙していた事を利用しています。
実子を役人に推挙していた劉備を無下には扱えないという
袁紹の心理をちゃっかり利用しているのです。
曹操とは、陶謙を通じて敵同士でしたが、劉備は早々と、
敵を袁術一本にまとめて、曹操が劉備を鎮東将軍に任じた時にも
これを逆らわずに受け入れています。
もちろん、呂布に敗れて曹操の所に亡命した時にも、
この鎮東将軍任命の事を最大限利用した事でしょう。
小さな繋がりでも、捨てたりしないで保っておく by 劉備
「多くの人はお願いしますとは言うけど、
その後どうなったかまで報告してくれる人は少ないね・・
これも人情ではあるけど、寂しい限りだよ」
これは、ある大企業の重役の言葉なのだそうです。
多くの人が、彼を頼り、仕事の仲介を一生懸命にお願いするが、
その後、事業が成功したかどうかを連絡してくれる人は、
とても少ないと嘆いています。
私達は、まず、仕事を成功させる事に意識を集中させてしまい、
その仲介の労を取った人の事は忘れがちです。
でも、その人だって一定の骨折りをしたのですから、自分が仲介した
事業がその後どうなったかに関心があるのです。
もし、あなたが、そういう所まで気を配り、成功しても失敗しても
簡単な報告と、「あの時は本当に有難う御座いました」の一文を
付け加えるなら、そのコネクションは、また次の段階で大きく
活かされる事になります。
劉備はまさに、小さな繋がり、小さなコネでも捨てずに取り置きして
今、必要という時に、それを活かしました。
見た目と違い、とてもマメで細かい気配りが出来る人なのです。
ビジネス三国志ライターkawausoの独り言
コネはコネクションの略であり、
それは、小さくても一緒に仕事に携わった人に、
「ああ、気持ちがいい人だな、この人となら、また仕事がしたいな」
という気配りというテクニックの一つなのです。
劉備は、刺客にさえ気を配ってもてなし、殺害を思い留まらせる
という程の誠心誠意の人でもありました。
さて、あなたには、振り返ってみると放置しているコネはありませんか?
今からでも、連絡を取り、近況を聞いてみる事で新しいビジネスの
チャンスが広がるかも知れませんよ。
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