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関羽の死を聞いた劉備は激怒
これを聞いた劉備(りゅうび)は、劉備(りゅうび)「もっと臨機応変に対応せんか!そもそも桃園の誓いを知らんのか!」と激昂します。桃園の誓いにより、劉備(りゅうび)、関羽(かんう)、張飛(ちょうひ)は死ぬ時は同じと誓ったはずでした。その関羽(かんう)を見殺しにするのは劉備(りゅうび)を見殺しにするも同然です。そのため、孟達(もうたつ)はここでまたしても分岐点を迎えます。孟達(もうたつ)「関羽(かんう)を見殺しにしては、蜀での出世は見込めん。それどころか、理由をつけて処罰されてしまうだろう。いっそのこと、魏に下ってしまおう。」と考え魏に投降しました。また、他の蜀の将もけしかけ、同時に裏切ることで追撃してきた劉封(りゅうほう)を撃退しています。劉備(りゅうび)は本当に孟達(もうたつ)を殺すつもりだったと思われますが、間一髪孟達(もうたつ)は逃げ延びたわけです。
魏に下った孟達(もうたつ)は、魏の文帝・曹丕(そうひ)に拝謁しました。孟達(もうたつ)「ここで、今後の待遇も変わる。うまくやらなくては・・・」曹丕(そうひ)は臣下に孟達(もうたつ)の力量を判断させます。現代の面接のようなものですね。既に転職が確定しているのにおかしな話ですが。もとより弁舌が立ち、才気のあった孟達(もうたつ)を、臣下は『将帥の才』、『公卿の器』と評したため、かねてより孟達(もうたつ)のことを耳にしていた曹丕(そうひ)はこれに喜び孟達(もうたつ)を他の臣下が諌めるほど、高待遇で迎えました。
まさかの判断ミス!孟達(もうたつ)の分岐点 その3
しかし、その後孟達(もうたつ)を待ち受けていたのは、曹丕(そうひ)の死と己に降りかかる冷遇でした。跡継ぎの曹叡(そうえい)は孟達(もうたつ)を重く用いることはありませんでした。さらに、これまでの厚遇及び裏切りの過去とその不忠から、周りからは白い目で見られ、孟達(もうたつ)は命を狙われてもおかしくない、と思うようになります。そこへ、さらに蜀が快進撃を続け、洛陽に届かんばかりの勢いで進軍していることを知りました。
孔明(こうめい)は、孟達(もうたつ)の迷いを見通し、内部から反乱を起こせば、蜀への帰参を許すとの手紙を送りました。しかし、孟達(もうたつ)は決行を躊躇い、孔明(こうめい)はそれを急かす為に、反乱のために内通していることが蜀から降った将である申儀(しんぎ)から曹叡(そうえい)に露見するように仕向けました。
事が露見した頃、魏ではそれまで権力を剥奪されていた司馬懿(しばい)は復権しました。司馬懿(しばい)は、孟達(もうたつ)のことを聞くや否や司馬懿(しばい)「不忠の孟達(もうたつ)は、必ずや謀反を起こす。要害を押さえられる前にしとめるのじゃ。」と打倒孟達(もうたつ)を急ぎます。
孔明(こうめい)は司馬懿(しばい)の復権を聞き、孟達(もうたつ)を急がせますが、孟達(もうたつ)「司馬懿(しばい)は帝に奏上してから出なければ、こちらに進軍できまい。洛陽に出発してから我が城に侵攻するまでに一ヶ月はかかるはずだ。」
ところが、司馬懿(しばい)は帝へ奏上せず、一直線に城に向かい、挙兵からわずか八日で城へと到着してしまいました。電光石火の進軍で城を包囲された孟達(もうたつ)は、蜀や呉の救援も間に合わず敗北、殺害されました。
孟達の生涯と彼の分岐点
孟達(もうたつ)は裏切ってばかりですが、劉備(りゅうび)の元に降る時も同時に裏切ろうとした張松(ちょうしょう)は死罪とされていますし、魏に降った時には一緒に裏切るよう促したが反対した劉封(りゅうほう)も死罪とされており、この乱世においてかなり的確に裏切っております。また、曹丕(そうひ)に自身の力を示し魏での地位を盤石にしたことに関しては、見事という他ありません。惜しいのはそれによって目立ち過ぎたことです。また、数度に渡り主を裏切り、最後には自身が一度裏切った蜀に再び帰参しようとしていますが、それほど悪い人にも思えません。最初に仕えた劉璋(りゅうしょう)は、民からの評判も悪く、また孟達(もうたつ)以外にも法正(ほうせい)や張松(ちょうしょう)も仕えるべき「明君」を探していました。ある意味必要を迫られての行動だったかもしれません。
劉備(りゅうび)には蜀を去る前に手紙を残す等律儀な面もありました。逆に怒りを買っただけでしたが。不忠とはいえ、うまく立ち回っていた孟達(もうたつ)でしたが、最後は司馬懿(しばい)を侮り、判断が鈍ったことでその最後を迎えました。命運を分けた分岐点は、どこだったのでしょうか。答えはないかもしれませんが、孔明(こうめい)からの手紙は一つの分岐点ではありました。早い段階で要害を押さえていれば、内外から仕掛けて魏を滅ぼせた可能性もなくはありません。魏で多くの仲間を作れれば、魏でやっていけたかもしれません。
また、一説では本当はこの時呉に降ろうとしていたとも言われております。いずれにしてもいざという時、「分岐点」で的確に決断を下せないようでは生き残れないということです。
三国志ライターFMの独り言
三国志というと、戦や内政とその中での人間模様に目が行きますので、はじめてみる人は「現代とは世界観がまるで違うなぁ」と感じるかもしれませんが、現代に置き換えてみると、学ぶべきところが見えてくると思います。まず、孟達(もうたつ)は、才気のある部将でしたが、なにより自身の危機を察知し、自身のおかれた状況下で的確な判断ができる将であるように思えます。現代でも、仕事で大損害を出し立場が危うくなった、リストラされた、等突如降りかかったどうしようもない分岐点で、大きな決断ができる人は優れた人と言えるでしょう。もう一点学ぶべきことは、不忠とその代償です。やはり彼は不忠の人というか魏では一部では危険人物扱いされていますし、親交の深かった人物が尽く死んでしまい、結果立場が危うくなる等、自身の不徳が招いた破滅だったのかもしれません。最後は城内の味方も裏切っておりますので、「不忠」は誰の得にもならないわけです。人と人の信頼って大事ですよね。
孟達(もうたつ)に限らず、また三国志に限らず、中国史では死罪に処せられるような絶望的な状況でも、己の技術や巧みな弁舌、自身の人脈で生き延びていく、という話がたくさんあります。死罪に処せられそうな時に
「嫌だ、死にたくない、助けてください。」なんて声に出しても、相手はそんなこと知っているわけです。そういう時は、命乞いしなければならない状況になる前にさっさと逃げて「相手に殺されないようにする」、あるいは、弁舌で「相手に自身を殺させないようにする」必要があります。中国史から学ぶ真に頭の良い人、とはいざという時に自身の命を守るための決断と行動ができる人を言うのではないかなぁと思います。
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