米大リーグ、イチロー選手(42)が6月15日、日米通算4257安打の新記録を樹立した事が日本で話題になった事は記憶に新しいですが、その恩恵を密かに受けている人がいます。イチローの精巧なモノマネで知られるニッチロー(37)です。
ニッチローさんは「恩恵をそのまま受けてますね」とニッコリ、本家イチロー効果で営業の依頼が次々に入る特需状態で「割増率で言えばイチローさんの打率3・53より多い5割は超えています」と野球に掛けてコメントしていました。
ただ、ニッチローさんは、イチロー本人に会った事がなく、モノマネも非公認状態なんだとか・・「本人に認めてもらいたいけど、会うのが怖い」とコメントしていました。(写真引用元:ナチュラルマジック)
実は士大夫の間で大流行だったモノマネ
さて、三国志の時代にも、モノマネは大流行していました。あんな難しい顔をしていた人達が何のモノマネするの?と思うかも知れませんが、意外や意外、宴会で悪乗りしたりしています。
漢書によると、後漢の時代の檀長卿(だんちょうけい)という人物は九卿の小府という最上級の貴族の位にありましたがモノマネ大好き、ある権力者が開いた宴会で得意の猿と犬が戦うモノマネを披露して大爆笑を取ります。
原文:長信少府檀長卿起舞,為沐猴與狗鬥,坐皆大笑
しかし、笑いが分らない蓋寛饒(がいかんよ)という諫言の士がそれを見ていて憤慨し皇帝に告げ口したので、檀長卿は長い間、牢獄に入れられたそうです。
猿や胡人、老人のモノマネをした傅玄
さて、少し時代が下り、魏の官僚で魏書を現した傅玄(ふげん:217~278年)もモノマネ好きでした。彼の場合、普段は物静かで、厳しい諫言もするような堅い人なのに、演劇や面白い芝居などが大好きで、また自分もそれに影響されて、モノマネをしてしまうという愉快な趣味人でした。
宴会がたけなわになると、それまで大人しく飲んでいた傅玄が豹変、赤い頭巾をかぶり、赤い布の靴下を履いて、唇を真っ赤に塗り、猿そのものの姿になり、眉を吊り上げたり、顔をしかめたり、手を上下で叩いてみたり、、猿の動きをそのまま真似てみせたのです。
もう、私達の世代では懐かしい、加トちゃんの、ちょっとだけよ~ あんたも好きネェが始まりそうな勢いです。
傅玄は、そればかりではなく、胡児という外国人の真似や、お年寄りのしぐさなども真似るなどレパートリーも多く、かなりの芸達者でした。
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大道芸に熱中し、怪我をする貴族が続出
さて、このモノマネを愛好する風潮は、六朝時代(222~589年)になっても止まらず、当時の貴族には、竿を顎で支えつつ、人を竿の上で芸させる大道芸に夢中になった人々もいました。
当時の皇帝も、これを止めるどころか面白がって見る始末、そうなると貴族達もエキサイトし、使用人を竿の上に昇らせ、自分は顎で竿を支えるという芸を練習したと言います。
もちろん、あれは長年の修練があって出来る芸で簡単に真似できません。使用人を支えきれずに、落下させて骨折させるわ、自分は自分で、歯が折れてしまうわで、散々な目にあいます。
それでも諦めず、練習をしたらしいですから、お前達、情熱を込める方向が間違ってるよな?と言いたいです。
三国志ライターkawausoの独り言
宴会と大道芸は、後漢の時代には切ってもきれませんでした。曹操(そうそう)も面白い話やお笑いが大好きな笑い上戸で、大笑いしてスープに頭を突っ込んだ事さえあります。
もしかすると曹操も、お笑いが好きすぎて、ネタの一つや二つは、レパートリーにあったりしたのかも知れません。本当は、披露したかったけど、ただでさえ威厳が無い容貌だから、披露しなかっただけかも知れません・・
だって、息子の曹植(そうしょく)は、役者の声色芸から胡族のダンス、剣舞まで、当時の芸は何でも出来たそうですからね。
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