これはビックリ!三国志の時代にも曲芸があった!当時の娯楽がじわじわくる

2016年5月11日


 

三国志 居酒屋

 

テレビもラジオもネットもない三国志の時代、人々の娯楽としては、

体を張って曲芸を見せる、大道芸が一般的でした。

彼等は、道端で芸を披露するのみではなく、豪族の宴会にも呼ばれたので、

墳墓の壁画にも、その様子が残っています。

では、三国志の時代の曲芸とは、どんなものだったのでしょうか?

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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七枚の皿の上を飛び回る 曲芸師

三国志 芸

 

 

地面に、うつぶせにした七枚の皿をおいて、

その上で飛んだり、跳ねたり、宙返りをしたりする芸です。

もちろん、着地する時に、皿を割ってはいけませんし、

皿以外の部分に着地してもいけません。

 

このような芸は最近は見られないので、廃れたタイプの

曲芸なのかも知れません。

 

常に皿がどこにあるかを把握しながら、かつ、皿に体重を

かけて割らないようにする柔軟な身体能力が必要です。

 



今でもお馴染み、剣をお手玉するジャグラー

 

手に持った、四本の抜き身の剣を上空に舞わせながら、

地面に落さないようにする、ジャグリングです。

剣は大ぶりであり、緊迫感をあたえるように抜き身です。

そして、意味なく演者は、上半身裸ですが、

これも刺さると危ないという一つの演出かも知れません。

また、地面には、五個のお手玉が転がっていて、

剣を落さないようにしながら、お手玉を地面から拾って

ジャグリングを続けるという芸もしたようです。

 

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竿を使う絶妙のバランス感覚曲芸

三国志 芸

 

お約束で上半身裸の筋肉隆々の男が、十字型の竿を額に乗せています。

さらに、竿には、3人の子供がぶらさがっていています。

十字の左右の子供は、足を引っ掛けて、竿からぶら下がり、

てっぺんの子供は、お腹だけで、バランスを取っています。

 

子供三人の体重を、男は、額で支えているわけです。

見るからに、ハラハラする曲芸です。

 

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サーカスの原型、馬の曲乗り

旅馬 三国志

 

二頭の馬が、お互いに交差しながら、広場を円を描いて駆けまわる

というタイプの曲芸です。

馬上では演者が、馬の背に立って、鞭を振りまわしたり剣を振ったり

しつつ、時には、わざと落ちそうな振りをして、手綱にしがみつきながら、

振りまわされるという演出もやっています。

 

実はサーカスの語源は、円を意味するサークルであり、

この壁画は、サーカスが洋の東西を問わず、

馬の曲乗りから出発したという事を表しているのです。

 

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これは曲芸なのか?皿まわしと車輪投げ

劉備

 

上記のような、高度な曲芸もあれば、宴会芸というモノもあります。

紀元3~4世紀の三国から魏晋南北朝の時代の壁画には、

今でも、宴会芸で、たまーに見る、皿まわしをやっている絵があります。

細い棒の先に皿を乗せて、もう一本の棒で皿の高台をなぞって、

回転させるのも今と一緒です。

 

でも、見る限り、回しているのは、一枚の皿だけです。

これくらいなら、素人でも少し練習すれば出来そうです。

かわりに、この演者、めっさ笑顔に見えます。

 

後一人は、車輪を回転させて、手から腕へ、腕から肩を通って

反対側の肩から腕へと移動させる車輪芸の人です。

こちらも何ともいえない笑顔です。

 

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剣が立てられているロープの上で綱渡り

 

現在の綱渡りの原型になるものも登場しています。

地上から、150センチ程度の所に、綱を一本渡して、

そこを、大きな房がついた棒を持った子供が3名で、

バランスを取りながら歩いています。

 

下には、立てられた剣が何本も並んでいて、

誤って落ちたら串刺しになります。

ある意味では、高さが危険なだけの今の綱渡りより、

かなり危険な曲芸という事が出来ます。

 

また、その中の一人の子供は、

その中で逆立ちをして、歩いています。

 

三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

当時の大道芸は、今と違わないものもあり、皿の上を歩くように、

最近ではお目にかかれないものまであります。

個人的に、痛々しいのは、子供が登場する比率が多い事です。

恐らく、小さい頃から、芸を仕込まれて、一人前になるに従い

高度な芸を覚えていったのでしょうね。

 

本日も三国志の話題をご馳走様でした。

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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