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劉邦の人材スカウトの元になった?
例えば、三略の最初には、こんな事が書いてあります。
リーダーは優れた人間の心を惹きつけ、手柄を立てた人間を表彰する事。こうして自分のやり方というものを部下と徹底して共有するのだ。どうしたら、人々の心を惹きつけられるのか?
それは、人々が好む事を自分も好み、人々が嫌うものを自分も嫌うのだ。こうすれば、やすやすと人々の心を惹きつける事が出来る。
国が治まり家が繁栄するのは、人材を得るからである。国が破れたり家が離散するのは人材を失うからである。命のある者は、すべて、それぞれの志を遂げる事を願っている。
読めば、読むほど、なるほどと思う内容ですが、実は劉邦が天下を取った経緯は、この三略の冒頭通りなのです。
破格の高待遇で優秀な人を集める
例えば劉邦に終始一貫している特質に気前の良さがあります。三略の上略には、部下をやる気にさせるには報酬を弾めばいいと書いてあり、高待遇を保証すれば、優れた人物は向こうからやってくるとされているのです。劉邦は、これを実践して、優れた人材を集めました。一方の項羽(こうう)は恩賞の与え方がケチで、優秀な人材を逃がしていきます。
人の好む政策を行い、嫌う事を廃止した
また、人間は法律が難しいのを嫌い、法律が分りやすいのを好みます。劉邦はそれを実践し、秦の法律が厳しく難しいのを廃止して、それを簡単に書き改めました。秦の厳罰に苦しんだ人々が劉邦に感謝したのは言うまでもないでしょう。
大将軍になり活躍したいという韓信の望みを叶える
それに国士無双の韓信(かんしん)は、常に自分は大将軍になれば活躍できると熱心に説いていましたが、実績がない若僧なので項羽は使わず、劉邦も当初は無視しました。しかし、䔥何(しょうか)の熱心な推薦で韓信を大将軍に任命した所、頼みもしないのに、あちこちで項羽の味方の国を滅ぼして活躍。漢の天下を近づける役割を果たしたのです。
これも命ある者はすべて、その志を全うする事を願っている
という三略の言葉を実践したものなのです。
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春秋戦国ライターkawausoの独り言
この三略ですが、実は張良が生きていた時代ではなく、その200年程後の後漢の初期の書物と言われています。そうなると、老人から受け取ったのは、別の書物だった事になるのですが現実には、劉邦の天下統一プランは、三略に沿っているので三略が、劉邦の事蹟を丸々パクったか、そうでないなら、以前存在した書を元に、三略としてまとめ直したのかも知れません。
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