春秋戦国時代

はじめての三国志

menu

三国志の雑学

魏の初代皇帝・曹丕はいったいどんな仕事をしていたの?

この記事の所要時間: 55




曹丕

 

曹丕(そうひ)は皇室の力を盤石にする一方で、

国内の政治を安定にさせるように努めます。

彼は敵討ちなどを禁止して、社会の倫理や秩序を維持する法律を制定。

また他人を蹴落とすための密告が天下に流行っておりましたが、

曹丕は密告を行う事そのものを禁止する法律を天下に布告します。

この密告制度の禁止は例外もあり、国家を転覆させる反逆罪などが行われそうな場合は

すぐに密告するようにと指示を与えております。

そして父・曹操(そうそう)と同じく彼も民衆に対して邪教を禁止させ、

刑罰の軽減を布告するなど様々な政策を行い社会秩序の安定を図ります。




新たな人材登用法を制定する

曹丕 曹植

 

曹丕は国内の政治の安定に力を尽くしていく一方で、新しい人材登用法を採用します。

この人材登用法を考えたのは曹丕ではなく、

魏の臣下である陳羣(ちんぐん)という文官が考えた人材登用方法です。

この登用方法は完了を一品~九品に分けて制定します。




新たな人材登用法の内容とは

曹丕 残忍

 

そして郡ごとに人材を採用する採用官を置き、

この採用官が郡における優秀な人物達に一品~九品までの評価を与えた後、

官へ仕えさせます。

評価を貰って官に仕える事になる人物は、

評価から四階級落とした官位を貰って務める事になります。

一例として採用前に最高の点数である一品の位を貰って官へ仕える事になります。

官位を貰う際には四階級落とした官位がもらえますので、

一品の評価を貰った人物は五品の役職を貰う事になります。

またこの採用方法は一品~九品までの点数を貰った後に官へ仕える事になりますが、

最大で登れる官位は最初に貰った点数までと決まっております。

先ほどの例で言いますと一品の評価を貰った人物は、

最終的に一品の官位にしか上る事ができません。

この人材登用法を陳羣は曹丕に提案すると彼は大いにこの採用法を褒めて、

この人材登用法を「九品官人法(きゅうひんかんじんほう)」と名付け、

曹操が亡くなるとすぐにこの登用法を法律に組み込んでいきます。

 

関連記事:あっちもこっちも将軍、将軍、将軍だらけ!三国志の将軍の位がわかると上下関係がわかる!

関連記事:【三国時代】英雄の地位はどの位?

 

なぜ曹丕は新しい人材登用法を制定したのか

曹丕

 

曹丕はなぜこの人材登用方法を取り入れる事にしたのでしょうか。

その原因は漢王朝の人材登用法では優秀な人材が集まってこない可能性が、

あった事に起因しております。

漢の人材登用方法は地方豪族たちが力を持っていたこともあり、

彼らの息のかかった人物のみが官僚として推挙されておりました。

この中には優秀な人物もおりましたが、大半は豪族達が朝廷での人脈を広げる為の

人材を官僚として送り込んでいた為、優秀な人材があんまりいませんでした。

そのため陳羣はこの漢王朝の人材登用方法を見直し、

実力を持った人材が朝廷に仕えられるようにすることで、

国家の力を向上させようと考えた結果、この人材登用方法が生まれる事になります。

このように新たな人材登用方法や法律などを制定した結果、

魏の国は大いに社会が安定することになり、国の力は他の二国を圧倒するほどの

力を蓄える事になります。

 

関連記事:曹丕はどうやって後継者争いに勝ち残って魏の初代皇帝になれたの?

関連記事:魏(曹丕)呉(孫策)蜀(劉禅)の2代目君主は誰が一番優秀だった?

関連記事:意外!実は剣術家だった曹丕の自叙伝が凄い

 

呉の降伏を受け入れるも…

関羽 死

 

こうして曹丕は様々な政策を制定し、魏の国内の安定に大いに貢献します。

しかし戦においてはあまり活躍することはできませんでした。

劉備は呉の裏切りによって荊州が奪われた事と関羽が亡くなった事に激怒し、

孫権討伐へ出陣します。

孫権は劉備が出陣してくると魏に使者を送って「呉は魏に降伏します。

降伏したので攻撃しないようにお願いします。」と使者を送ります。

魏の群臣達は「孫権の降伏は蜀に攻撃を受けている間だけのもので、

この機に乗じて呉へ攻撃を仕掛けるべきだ」と進言します。

すると曹丕は「いや。降伏を希望して来る者を受け入れる事を拒否すれば、

今後魏へ降伏してくる者がいなくなるだろう。

そのため今回、私は呉の降伏を受け入れる」と群臣の反対を押し切って

呉の降伏を受け入れます。

 

関連記事:蜀ファンに衝撃!実は関羽は劉備の部下ではなく群雄(同盟主)だった!?

関連記事:【特別企画】関羽の最強の噛ませ犬は誰か?最強決定戦!!

関連記事:そんなカバな!!赤兎馬はカバだった?関羽は野生のカバに乗って千里を走った?(HMR)

 

孫呉が独立する

孫権

 

曹丕は呉が降伏した事で、孫権へ「君の所の息子を見たいから、

魏の都に連れてきてくれないか。」と使者を送ります。

すると孫権は「いや。私の跡取りだからです。それはできません。」と断ります。

曹丕はめげずに何度も使者を送りますが、孫権は曹丕の申し出をすべて断った挙句、

蜀と同盟を再度結び、魏から独立を果たします。

曹丕は大いに激怒し、孫権討伐へ自ら出陣します。

【次のページに続きます】




ページ:

1

2

関連記事

  1. 思わず「やりすぎだろ」と声が出る!脳筋・呂布が袁術にたかる方法が…
  2. 諸葛亮をこよなく愛した土井晩翠、星落秋風五丈原が後世でも形を変え…
  3. 馬超や曹操と因縁が深い氐族(ていぞく)
  4. 三国志の生みの親であり歴史家の矜持を悩ます歴史書編纂の裏事情
  5. 【袁紹と袁術の関係を正す】其の2・勢力図からの考察
  6. 三国志演義に登場する兵器
  7. 【三国志の矛盾】二帝並尊をなぜ諸葛亮孔明は認めたの?
  8. 【官渡の戦い前哨戦】文醜はどうして敗北することになったの?

google検索フォーム

過去記事を検索できます

ピックアップ記事

おすすめ記事

  1. 曹操の機転。濮陽の戦いと定陶の戦い
  2. 赤壁の戦い後の江陵攻防戦(曹仁VS周瑜)
  3. 徳川家が豊臣を滅ぼすきっかけとなったのはどんな理由だったの?
  4. 諸子百家(しょしひゃっか)ってなに?|知るともっと三国志が理解できる?
  5. いつまでやるの?またまた『赤兎馬=カバ説』を検証してみる。第2弾【HMR】
  6. 【三国志マナー】あなたは大丈夫?間違うと首が飛びかねない!?三国時代のマナーを紹介!

三國志雑学

ピックアップ記事

おすすめ記事

14話:宦官を容赦なく皆殺したカリスマ袁紹の過激なデビュー 袁術の前をガン無視で通り過ぎた漢達が予想以上に多かったのでまとめてみた 許褚はどんな顔をしていたの?三国志のそもそも論 親族からは嫌われていた?劉備に親族の配下がいない理由とは? 【戦国時代と三国時代の類似点】権力者に抵抗して戦い抜いた曹髦と織田信孝 呂布は知将?呂布の知略によって袁術軍はフルボッコにされていた キングダムに乗り遅れた人必見!!戦国時代をざっくりと紹介しちゃいます! 134話:頑固な忠臣、張昭と孫権の対立がシュール

おすすめ記事

  1. 刎頚の交わりを結んだのに・・・張耳と陳余の数奇な運命
  2. 関帝廟ガイド~知っておきたい、正しい「基本」の参拝方法
  3. 119話:孔明君のジャングル探検?南蛮討伐本戦
  4. 125話:何で孔明や姜維の北伐は街亭や祁山にこだわったの?
  5. 荀彧と曹植はオシャレ男子だった?三国時代の男子は化粧をしていた
  6. 李通(りつう)とはどんな人?義侠心に溢れた魏の知られざる勇将
  7. 三国志で一番の悪酔い君主は誰だ?【酒乱ランキング】
  8. 夏侯 惇(かこうとん)ってどんな人?| 曹操に最も近い男

はじさん企画

袁術祭り
特別企画
異民族
諸子百家
春秋戦国時代
日常生活
はじめての三国志TV
PAGE TOP