三国志演義にのみ出てきて、正史には存在しない美女、貂蝉(ちょうせん)。彼女が果たすのは、美女連環の計における美女の役割。言わばものすごく大事な役割です。
そんな彼女は、実は三国志演義以前――元の代に刊行された『三国志平話』の頃から存在したということを、皆さんはご存知でしょうか?
『三国志平話』においても、貂蝉は美女連環の計の要の役割を果たします。しかし、『平話』の貂蝉は王允の家の養女にして歌妓ではありませんでした。なんと、呂布と臨チョウ府で離れ離れになってしまった、呂布の正妻だったのです。
では、何故呂布の正妻である貂蝉が、董卓と関係を持つに至ったのか。このあたりは、私も『平話』原典を読んだわけではないのでハッキリしたことは言えませんが、どうやら王允の家で世話になり、その関係で董卓と関係を持つに至ったようなのです。
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儒教の影響
では、何故『演義』の貂蝉は呂布の妻から王允宅の歌妓に変わってしまったのか。それには、中国の儒教中心の考え方が影響しています。儒教においては、妻が夫以外の男性と関係を持つのはもってのほかです。
これは不貞だと言われます(まあ現代日本でもそうですが……)こんな不貞な、儒教に背いた女を、漢王朝のために尽くした人物には到底できない。『演義』の作者の毛宗崗は、きっとそう考えたのでしょうね。
妻じゃなかったら、浮気してもいいの?
ここも気になるところだと思います。まあぶっちゃけて言ってしまえば、当時の中国においては、歌妓の地位なんてめちゃくちゃ低いです。
将軍の正妻とは雲泥の差です。まあだって、元来が売られた女なのですから、日本の江戸時代の芸妓さんみたいなものだと思ってください。だから、求められる倫理コードも、正妻と比べては、めちゃくちゃ低かったのです。
また、『演義』における貂蝉は、歌妓でありつつも、王允の養女という設定であります。自分を実の娘のように育ててくれた人物のために、身も心も犠牲にする……その姿勢こそが、儒教で言う「孝」だと、毛宗崗は考えたのでしょうね。
まとめてみると
つまり、『三国志平話』の方だと、貂蝉が美女連環の計に加わることによって、董卓は倒すことができますが、同時に功労者である貂蝉は不貞を働くようなけしからん女になってしまいます。
これでは、作品内で大きな矛盾を生んでしまいます。それに比べて、『三国志演義』の方では、貂蝉は王允に育てられたら歌妓。求められる倫理コードは正妻よりずっと低いし、むしろ「自分を娘のように育ててくれた王允のために自らを犠牲にしてまで孝を尽くした立派な女」ということになりますから、かえってプラスに働くのです。
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史実としては……。
史実としては、董卓と呂布の間には確かに女性を巡る諍いがあり、それが原因で呂布は董卓に離反したようですが、美女連環の計のようなたいそうなことはなかったようです。
ちなみにこの部分の描写は、作家によって、貂蝉を登場させる作家から完全にフィクションを描く作家(北方謙三など)、貂蝉から呂布への恋愛観感情を描く場合(ドラマthe Three Kingdomなど)など、様々なパターンがあります。そこを読み比べてみても、なかなか楽しいかもしれません。
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三国志ライター・秋斗のつぶやき
というわけで、今回は貂蝉について書かせてもらいました。この三国志女性列伝シリーズは、不定期に更新される予定です。男は何人もの女とも結婚してよいのに、女は謀略のためでも姦通のためなど、もってのほか。
ただし歌妓はそれが目的のようなものだから許される。何とも男尊女卑的な世の中だなあと、私なんかは腹が立ってしまいます。儒教は結構女性蔑視なところがありますよね。三国時代に生まれなくて良かった……としみじみと思う秋斗でした。
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