呂不韋(りょふい)の四柱として、常に秦王政の一派の脅威だった
「法の番人」李斯(りし)その李斯が昌文君の懇願で許され再び登用されます。
毐(あい)国の乱以来、獄に下されていた李斯がどうして秦王政の配下になったのか?
そして、李斯の口から語られた韓非子(かんぴし)とは何者なのでしょうか?
今回のはじめての三国志は、その辺りを紹介してみます。
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この記事の目次
李斯はどうして牢獄から出てきたのか?
さて、韓非子について語る前に李斯が牢獄から出てきた理由を考えましょう。
「秦王政に許されたから?」それでは全く正解から遠いと言えます。
実は、李斯は牢獄で左丞相、昌文君に土下座されて出獄してきたのです。
その理由は秦王政が法による中華統一を決意したからでした。
「法の番人」として自他共に認める李斯は、法の支配による
中華統一という大望を抱いていました。
文化も習慣も言語も違う七国の人民を纏めるには、
公平にして厳格な法を制定し、その下に万民が服従するしかない。
呂不韋の下では実現できなかった見果てぬ夢、それを政が標榜した為に
李斯は、一命を賭して秦の天下統一に賭ける気になったのです。
李斯が口にした韓非子とは何者か?
秦王政の派閥に蛇蝎のごとく嫌われている李斯ですが、
彼は落ち着き払い、非難轟々の群臣に言い放ちます。
「中華統一の後に制定される法は、ここにいる連中では手に負えない、
それに着手できるのは中華でも俺か韓非子くらいだ」
キングダムの鍵になる人物ながら、ようやく、ここで名前が出てきた
韓非子、彼は一体何者なのでしょうか?
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韓の王族に生まれた悲劇の公子 韓非
キングダムでは、李斯が韓非子と呼んでいますがそれは間違いです。
子というのは先生を意味しているからです。
李斯は「韓非先生」と呼んでいる事になりますが、李斯と韓非は
荀子の同門で師弟関係ではありません。
細かい事は、さておき、韓非は紀元前280年頃、
戦国七雄の一国、韓の公子(王族)として生まれます。
しかし、キングダムの韓とは違い、史実の韓は強大な秦と隣接し、
秦王の言うままに貢物を出すような有様で、征服されていないだけで、
事実上は属国という扱いでした。
そこに生まれた韓非は吃音でしたが、代わりに文才に秀で、
自身の思想を表現する術に長けていました。
韓非は何度となく、自身の富国強兵策を韓王に進言しますが、
すでに滅亡寸前の韓に、それを採用する力はありませんでした。
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韓非、秦に仕えようとするが李斯により殺される
絶望する李斯ですが、彼が著した書物、韓非子は皮肉にも秦王政が、
激しく気に入るものとなります。
政は、韓非を見てみたくなり、韓に命じて韓非を使者にするように
命令を出しました。
「私の思想は秦なら理解されるかも知れぬ、、
このまま秦王の部下になり、法家の思想で天下を統一しよう」
野心家だった韓非は韓を見限り、秦に仕えようとしますが、
吃音が災いして秦王政の心を掴むまでには至りませんでした。
そして、紀元前233年、韓非の才能を恐れていた李斯により、
韓非は讒言を受けて獄に下され毒殺されてしまうのです。
紀元前280年の生まれなら、享年は47歳という事になります。
韓非の唱えた主な思想は?
人物としては栄達には恵まれませんでしたが、韓非の著作は秦王政の
バイブルと化し、その後の政治にも活かされました。
では、韓非子の思想について端的に説明しましょう。
①功利主義・・・人間は物資が余る程あれば他人にも分け与えるが、
少ないなら肉親でも奪い合う、理性的というより利益で動く存在だ。
だから、良い行いは必ず褒美を与え、悪事は必ず処罰すれば人民は法を恐れ
争いや犯罪は減少し、社会は良くなっていくに違いない。
②実証主義・・・徳とか恩愛などは、言葉は美しいが基準として曖昧だ。
それより法を明確にして、やって良い事、いけない事、するべき事を定め、
厳しく守るなら、徳とか恩愛よりも上手く世の中を統治できるだろう。
③進歩史観・・・昔は良かったと言うが、大昔は人口も少なく人を指導するのも
難しくなかったが、現在は人口も多く、利害も入り組んでいる。
当然、今の世の中には、現在に合致する法が必要だ。
④重農主義・・・商人や職人は不当に儲けて、農業を圧迫しているので、
厳しく抑圧すべきである。
⑤権威主義・・・秩序はきちんと上下を隔てて機能するべきであり
君主は自分の権勢を部下に奪われるような事があってはいけない。
本来、君子が握るべき権勢を臣下が握るなら、下は上の命令を聞かず、
世は乱れる事になるから、強い君主こそ太平の世には必要だ。
以上の五点が、韓非の思想の特徴です。
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キングダムライターkawausoの独り言
韓非は死後も韓非子という書物の思想として始皇帝の中で生き続けます。
始皇帝は、功利主義に基づいて交通を便利にし度量衡を統一しますし、
実証主義を元に、儒学者が言う徳とか恩愛とか仁義に懐疑的でした。
そして、やたらに昔は良かったという現実と乖離した儒学者を嫌い、
焚書するようになりますし、始皇帝の政治への不満が高まると
反逆する者は権威主義に従い、世の秩序を乱す存在として容赦なく弾圧します。
ご都合主義と言えば、そうですが、始皇帝が韓非の思想を信奉した、
その様子が始皇帝の治世からは見えてくるのです。
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