中国においての金融の発展は早く、前漢時代の「塩鉄論」という経済論争では、この世は金が全てという嘆かわしい社会になったと儒学者が愚痴を言うような金銭万能の社会が登場しています。
では、当時の社会における金融の常識とはどんなモノだったのでしょうか?
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古代周の時代の借金の利息
中国では、周の時代には、政府が人民に金を貸していた事があるようです。さすがに大本が政府ですから、その金利は安く1万銭を借りて年利は5百銭、あるいは、20分の1を利子としていたと記録されています。
利率で考えると、5%という事になります。現在の消費者金融でも、これよりは高いですから、当時は借り手にとって優遇された時代だったと言えるでしょう。
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漢の時代になると金利が上昇する
これが時代下って漢の時代になると、経済が盛んになるに従い、お金を借りる人が増え、貸し手が優位になっていきます。当時の常識では、1万銭のお金を借りると年利は二千銭にもなりました。
20%という事で、今なら違反になる高金利です。当時は、百万銭の元手を持っていれば、手広く金を貸して、年間二十万銭という暴利を得る事が出来た計算になります。
借り手は大抵、貧しい農民であり、支払えずに家族を売ったり借金取りを恐れて逃げてしまうケースも頻発しました。こうして貧富の差は開いていったのです。
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呉楚七国の乱での金利は100倍になった
紀元前154年、呉楚七国の乱という、劉氏の諸侯王の大乱が起こります。前漢の景帝は、長安の諸侯に武力討伐を命じますが、お金がない諸侯は長安の金貸しから借金をして軍事費を賄おうとしました。
ところが、劉氏の諸侯王の勢いは当初、盛んであり、どちらが勝つか、全く分らず、貸し倒れになる事を恐れた金貸し達は金を貸す事を渋ります。その中でただ、無塩(むえん)氏という人だけが千金を放り出して応じました。
無塩氏は、金を貸すにあたり、1000%の金利を掛けていました。幸いにして戦争は景帝の側の勝利に終わり、無塩氏には1万金という儲けが入ります。これは、貸した金の10倍という金利を取ったという事になります。
まさしく戦争の勝敗も金次第という所、負けていれば無塩氏は破産したでしょう。
金貸しの代わりに借金を取り立てる保役が大流行
前漢から王莽(おうもう)の纂奪を経て後漢に入ると金融は再び発展します。
そもそも、後漢を建国した光武帝自体が、若い頃は商売に熱中していた事もあり商業は奨励されこそすれ、前漢の初期のように抑制されなかったのです。
その中で富豪が生まれ、金貸しが始まりますが厄介なのは債務者がすんなり金を返すとは限らない事でした。お金を貸すのは簡単ですが、返す段になると色々理由をつけて返さない人がいて円滑な商売がしにくかったのです。
そこで、富豪は間に保役(ほやく)という保証人を立てるようになります。保役は簡単に言えば、債権回収を請け負う取り立て屋の事でした。当時は、中流階層の子弟が、この保役を引き受けて借金を取り立てました。
保役は借金を取り立てると、その中の決まった額が収入になりました。もちろん、時には荒っぽい事もしたであろう事は容易に推測できます。後漢の桓譚(かんたん)の記録では、腕がいい保役は、その収入で諸侯並の暮らしが出来たそうで、世間の人は皆、それを羨んで田畑を耕さないで保役になりたがるというような事を書いています。
当時の金利を考えると、一万銭貸して二千銭の利ですから、保役に、仮に千銭支払っても充分に儲けが上ったのでしょう。
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小作農に転落した人々は小作料五割の重税
こうして、保役によって強引に借金を支払わされた農民に待っているのは、土地を売り渡し、小作人になって、土地と種もみなどのレンタル料を地主に支払うという苦しい生活でした。
この小作人のレンタル料金は収穫の五割という重税でした。ここまで落ちると、自作農に這い上がるのは不可能に近く、子子孫孫、小作人として貧しい生活に甘んじるという悲惨な境遇を受け入れないといけませんでした。
三国志ライターkawausoの独り言
このような借金や重税から逃れた小作人を多数囲っていたのが、当時の社会で陰然たる勢力を持った地方豪族でした。
それは、呉の孫堅(そんけん)や公孫瓚(こうそんさん)、劉備の配下では縻竺(びじく)のような存在です。彼等は黄巾の乱で、漢軍の補助として兵を挙げて手柄を立て、やがて群雄割拠して三国志の時代を生みだします。
金銭万能の時代が貧富の差を拡大しやがて来る、新しい三国志の時代を用意したのです。
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