秦の始皇帝の死後民衆達や滅ぼされた六国の王の子孫達が反乱を行ったことがきっかけで、
秦は滅亡してしまいます。
そして中国は群雄割拠の時代に突入することになるのですが、
このふたりのどちらか勝った方が天下を握ることになります。
劉邦のライバルであった項羽は非常に戦が強い人でしたが物事に飽きっぽい性格でした。
しかし気概の高さは尋常ではなかったようです。
今回は項羽の性格である飽きっぽさと気概の高さについてご紹介しましょう。
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項羽の飽きっぽい性格:幼少期からすぐに飽きてしまう性格
学問をおろそかにしていれば戦で活躍することはできないんじゃない。
だって戦は頭を使うから・・・・。
と思っている人は多いと思います。
しかし項羽は勉学を身につけることはしませんでした。
項羽の叔父である項梁(こうりょう)は彼を幼少期から面倒を見ておりました。
そのため彼が少年になったとき学問を学ばせます。
だが項羽はすぐに学問に飽きてしまいます。
そこで項梁は剣術ならしっかりと身につけることができるであろうと考えて、
項羽に剣術の先生を付けて学ばせることにします。
だが項羽はある程度の剣術の技術を身につけると剣術を学ばなくなってしまいます。
項梁はせっかく家庭教師をつけてあげたのにすぐに放り出してしまう項羽に激怒し
「お前いくら飽きっぽいからといってすぐに放り出すのはよくないだろう」と叱責。
項羽は項梁の叱責に対して「勉強は自分の名前さえかければ十分で、
剣術は一人を仕留めるだけの技術です。
私が一番学びたいのは数千・数万を倒す技を磨いていきたいのです。」と述べます。
このことを知った項梁は項羽の願いである兵法家を家庭教師の先生に付けます。
項羽はすぐに兵法にのめり込んでいき、色々なものを吸収していきますが
兵法もすぐに飽きてしまって学ぶことをやめてしまいます。
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項羽の気概の高さがやばい!!
秦の始皇帝は天下統一後幾度も天下を見て回っておりました。
項羽と叔父項梁が住んでいた会稽(かいけい)にも始皇帝は旅行をしにきます。
この時ふたりは遠くからですが始皇帝の姿を見ておりました。
項羽は始皇帝の姿を見たときに「俺はあいつより偉くなってみせる」と
周りに聞こえる声でつぶやきます。
項羽の独り言を聞いた項梁は急いで彼の口を塞いで「バカ野郎。
バレた一族全員皆殺しになってしまうぞ。滅多なことを口にするな」と激怒。
しかし項羽の気概が物凄く高いことを知った項梁は彼に一目置くことになります。
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戦国史ライター黒田廉の独り言
今回は項羽の性格と気概の高さをご紹介しました。
幼少期から飽きっぽい性格であったから後年劉邦と天下を争うことになった時に
城攻めがあまり上手くなかったことが
この飽きっぽい性格に起因することになるのではないのでしょうか。
また気概の高さについては当時項羽のように向こう見ずにこのような発言をしているのは
あまり多くはありません。
彼のようなことを口走った人物は、
彼のライバルとして立ちふさがって漢帝国を作った初代皇帝である高祖・劉邦です。
劉邦も一度始皇帝を見たことがあったそうで、その時彼も項羽のような言葉を口走っております。
この時は周りに大勢居ないところで口走っただけなので大事にいたりませんでしたが、
気概の高い人物はこのように自分の気持ちを口走ってしまう傾向にあるのでしょうか。
参考文献 司馬遷史記 和田武司・山谷弘之訳など
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