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項翼(こうよく)は実在した?彼は項羽の父なのか?【キングダム考察】

2016年1月14日


 

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項羽

 

大人気漫画、キングダム、その物語に登場する楚軍の千人将に項翼(こうよく)という人物が登場しています。名剣、莫耶(ばくや)剣を遣うこの人物、項という氏といい楚の人間である事といい、どう考えても西楚の覇項羽(こうう)の父のように思われるのですが、実際の所はどうなのでしょう?

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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楚の大将軍、名門項家の系図とは?

項羽 はじめての三国志002

 

項一族の家譜(一族の来歴、官職の有無を記したもの)によると、項家は、代々が楚の将軍を襲名した名門の家系だったようです。キングダムに登場する楚の項燕の父は26世項寄彬(こうきひん)といい楚の下相(かそう)で生まれた人物で、やはり楚の上将軍だったようです。上将軍、項寄彬は、屈(くつ)氏の娘を娶って子供を二人授かります。その長男が後に楚の大将軍になる項燕(こうえん)です。

 

項羽、項燕の激しい性格は、先祖の屈源が影響している

 

さて、楚には、王族に連なる、屈氏、景(けい)氏、昭(しょう)氏という名族が存在していました。これを楚の三閭(さんりょ)と言いますが項燕の娶(めと)った屈氏は、この三閭の出身と考えて間違いありません。

 

この屈氏からは、歴史に名高い忠臣、楚の屈源(くつげん)が出ています。屈源は激情の政治家で、正論を飽くまでも通そうとする人物でした。その為に、当時の楚王で、暗君として有名な懐王に盾突いて、不興を買い周囲の人間も禍いを恐れて屈源から離れてしまいます。こうして屈源は最後には楚の政治に絶望し憤激の余り入水自殺しますが、項燕や項羽にも見られるその性格の激しさは屈源の遺伝かも知れません。

 

項翼という人物は、項家に存在するのか?

信 キングダム

 

項燕は字を叔燕(しゅくえん)といい、父と同様に下相の王陵里(おうりょうり)という所で生まれました。軍事に非凡な才能があり地位は大将軍、攻めこんできた秦の武将、李信(りしん)蒙恬(もうてん)の20万の大軍を完全に撃破して天下に名を轟かせます。

 

その余勢を駆って、項燕は逆に秦に攻め込みますが名将王翦(おうせん)は持久戦を採用して動かず楚軍が疲労した時を狙って反撃し項燕を撃破します。そのまま、王翦は楚に攻め込んで楚王の負芻(ふすう)を捕えて楚は滅亡します。楚が滅亡しても、項燕は諦めずに秦にいた楚の王族の昌平君を王に立てて抵抗しますが、長くは続かず、秦の王翦に滅ぼされて自害しました。

 

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項翼のモデルは、項燕の息子達なのか?

 

さて、この項燕は結婚して申(しん)氏を娶り、項嬰(こうえい)、項梁(こうりょう)、項伯(こうはく)、項仲(こうちゅう)という4名の男子を授かっています。これで見ると、項翼という名の人物は4名の中にはいません。もしかすると、実在の人物をモデルにして、名前だけを少し変えている可能性もあるので、この4名の事績を1人、1人見ていきましょう。

 

項燕の次男の項梁は、項羽の叔父として頻繁に歴史に登場します。もし、キングダムで描くなら項翼ではなく、項梁として描くでしょうから、彼は項翼ではありません。項燕の三男の項伯は、項梁の兄弟ですが、武将というより軍師タイプでした。

 

張良

 

若い頃に劉邦(りゅうほう)の軍師、張良(ちょうりょう)に命を救われその恩義から項羽の叔父ながら劉邦を庇ったりしています。このような事から、項伯は項羽とは決別し楚ではなく漢に仕えています。ですので、こちらも項翼のモデルにはそぐわないと考えます。4男の項仲ですが、こちらは、歴史上に明確な記載がありません。そこで、項翼のモデルにするには、無理があると言えます。

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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