秦国六大将軍、胡傷(こしょう)は王翦の師匠だった!?

2016年12月22日


 

王翦

 

対趙攻略戦で、桓騎(かんき)楊端和(ようたんわ)を抑えて

総大将に就任した王翦(おうせん)、、

その思い切った抜擢の背景には、旧秦国六大将軍の一人、胡傷(こしょう)が

智謀を認めた男という裏の理由が存在していました。

王騎(おうき)白起(はくき)、摎(きょう)に比較しても地味な六大将軍の胡傷、、

一体、彼は何者であり、キングダムで敢えて登場する伏線は何なのでしょう?

そこを調べると王翦は、胡傷の戦術を継ぐ者だという事実が分りました。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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六大将軍の中でただ一人、知略でのし上がった文官 胡傷?

キングダムと三国志

漫画による説明では、胡傷は、秦国六大将軍でただ一人知略によりのし上がった

文官あがりの智謀の士で、実際には残りの五人の将軍の計略も、胡傷が、

立案して、事実上六大将軍を動かしていたとまで噂されています。

 

では、そんな胡傷の特徴的な戦術を紹介しましょう。

 

胡傷の奇略が冴えた?魏と趙の連合軍を撃破した華陽の戦い

 

紀元前273年、胡傷の名は白起(はくき)と共に出現します。

その年、魏は趙と共に、韓の華陽を攻めます、韓は陳筮(ちんふ)を派遣して、

救援を求めますが、秦の昭襄(しょうじょう)王は、当初援軍を出しませんでした。

 

陳筮は次に、宰相の魏冄(ぎぜん)を訪ねて援軍を求めます。

当時、事実上の秦の実力者は魏冄でした。

魏冄は、自身が抜擢した白起と客将の公孫胡傷(こうそんこしょう)を率いて、

華陽に向かう事になります。

 

公孫胡傷が胡傷の本当の名前であるようです。

 

この時、秦軍は、魏や趙が想像もしない猛スピードで華陽を救う計略を採用しました。

それは、一日に百里を進むというかなりの強行軍です。

中国の一里は当時、415メートルなので、一日、41・5キロを

進んでいくという計算になります。

 

秦は休む事なく、このペースで進軍を続けた結果、8日で華陽に到着します。

資治通鑑(しじつがん)は、それを秦軍は突然と華陽に出現したと書いています。

魏軍や趙軍の驚きぶりが分るでしょう。

 

もちろん、魏も趙も臨戦態勢を整えてはいませんでしたから、

その無防備な状態に秦軍は突撃し、魏兵の斬首13万人、魏の将軍を3名捕虜にし

魏の総大将、と芒卯(ぼうう)を敗走させる大戦果を挙げているのです。

 

さらに、秦は趙にも襲いかかり、趙の総大将、賈偃(かえん)を撃破して、

投降した趙兵数万を黄河に放り込んで溺死させました。

 

資治通鑑には、それは誰の戦略かは書かれていない・・

 

さて、この華陽の戦いの資料である資治通鑑には、

この敵の虚をついた秦の戦略が白起のモノであるとは書かれていません。

 

秦軍採取出其不意 攻其不備的戰術 進行長途奔襲

 

このように秦は、相手の不意を突いて、敵が備える前に、

長距離を走り、敵を襲おうと考えたとあるだけです。

 

確かに、捕虜を取らず魏兵を13万人斬首する、或いは、趙兵の捕虜を

数万、黄河に放り込んで溺死させるという残忍な戦術は、白起を連想させますが、

実際には、胡傷が考えて、白起に実行させた可能性もないではありません。

 

キングダムでは、六大将軍の戦略は胡傷が立てたとしている

 

原先生は、恐らく史記だけではなく、資治通鑑を援用した上で、

この華陽の戦いを把握しているのだと思います。

 

だからこそ、資治通鑑には、華陽の戦いの戦略は

誰が立てたという記述がない事を逆手に取って利用し、

では、白起ではなく、胡傷が立てた戦略かも知れないよね?

という伏線を張っているのだと推測します。

 

そうして、考えると、敵の心理を読んで虚を突く兵法を得意とする王翦は、

胡傷の直弟子ではないか?とも推測できるのです。

 

胡傷、因縁の趙を相手に大敗、その仇を王翦が討つ!

王翦

 

しかし、胡傷の戦歴は次で途絶えてしまいます。

紀元前269年、胡傷は趙の閼与(あつよ)を攻め落とす為に出陣します。

その勢いは非常なもので、趙の廉頗(れんぱ)、そして楽乗(がくじょう)は

救援を不可として、閼与を見捨てるべしと言いました。

 

しかし、その中で、一人趙奢(ちょうしゃ)だけが断固、閼与を救う事を主張し、

趙の恵文王を説得し、自ら兵を率いて閼与に向かいます。

そして、わざと閼与から三十里の場所に土塁を築いて守り

閼与から救援を求める使者が来ても切り捨て、逆に秦のスパイを

丁重にもてなして帰しました。

 

これに胡傷は油断します、趙奢は救援に形だけは応じたが、

土塁を造って籠るだけで本気で秦に立ち向かう気はないと判断したのです。

 

スパイを返した瞬間、趙奢は動き、土塁を破壊して閼与から、

五十里の場所に陣を造ります。

そして、許歴(きょれき)という人物の意見を入れて、

一万人の兵の備えを厚くして北山の上に上らせて、残りの兵は伏兵しました。

 

史料によると、閼与は狭い道が続く場所で視界が広くありません。

恐らく、北山というのは、高台であり兵を展開する上で

絶対必要なポイントだったという事であろうと推測します。

 

それを知った胡傷は、兵を取って返して、全軍で山に登ろうとしますが

備えの厚い陣に阻まれ、突破できない間に、伏兵が襲いかかり

挟撃されて撃破されたと言われています。

 

これにより、まだ若手だった趙奢は、馬服君に封じられ、

廉頗と藺相如(りんそうじょ)に並ぶ地位、すなわち、

キングダムで言う所の趙の三大天になります。

 

一方で、胡傷の記録はここで途絶えます。

戦死したか、敗走して秦から去ったのでしょう。

 

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王翦に取って対趙攻略戦は、師である胡傷の仇を討つ戦い

 

その時、王翦は師、胡傷を失った事で大きな衝撃を受けた事でしょう。

すでに敵将、趙奢は存在しませんが、その後継者として新、趙の三大天になった

李牧(りぼく)に対して、閼与の戦いの雪辱を晴らすという意気込みなのでは、

ないかと考えられるのです。

 

もしかすると、李牧はまた、趙奢に大きな影響を受けているという、

伏線が今後、語られるかも知れません。

となると、趙奢の戦略を受け継ぐ李牧VS胡傷の戦略を受け継ぐ王翦という

宿命の対決が用意され、秦の対趙攻略戦は、ますます盛り上がりそうです。

 

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キングダムライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

一つ気になるのは、趙奢は亡くなっているとして、その趙奢に助言をし

手柄で趙の国尉になった許歴のその後は分らない点です。

或いは、老齢ながら、まだ生きていて、李牧に様々なアドバイスを与え

王翦を苦しめるという伏線になっているのではないでしょうか?

 

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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