呉と越の国は互いに戦い呉が越に大勝利を収め、越は呉に対して従属することになります。
越の君主であった勾践(こうせん)は軍師である范蠡(はんれい)の言うことをよく聞いて、
呉王の屈辱的な扱いにも耐えて行きます。
その後、越王・勾践は屈辱に耐えること二十年程度経過した時、
范蠡の策を用いて呉の首都を陥落させて、呉王を処断。
こうして越は復讐を果たすことに成功し、
越王・勾践は范蠡に最高職である上将軍の位を授与されます。
しかし范蠡はこの職を捨てて斉に行って平和な時を過ごします。
この時同僚であった文種(ぶんしゅ)に宛てた手紙の中の名言である
「狡兎(こうと)死して走狗(そうく)煮らる」をご紹介します。
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范蠡・上将軍に
越王勾践は呉を滅ぼし、南方の最大勢力に匹敵する力を手に入れることに成功。
されに彼は越が滅亡してから20年もの間、呉王へ復讐することを考え、
呉王から屈辱的な事をされても必死に耐え抜き、復讐を完了します。
彼が復讐を完了することができたのは一人の軍師のおかげでした。
その名を范蠡といいます。
彼は越王勾践に色々と献策し呉の国を弱らせていきます。
彼の献策にあって呉の名将である伍子胥(ごししょ)と呉王の離間させることに成功させます。
この他にも彼は呉の国力低下させるために色々な策を施していきます。
彼の努力が実を結んだことも越が呉を滅ぼすことが出来た原因でした。
勾践は、呉を滅亡させて後范蠡を軍事の最高職である上将軍に任命。
范蠡も勾践からの命令をかしこまって受けることにします。
上将軍の位を捨てて斉へ向かう
范蠡は勾践が呉を滅ぼしてから調子に乗っていく姿を目にしていきます。
この姿を目にした范蠡は上将軍の位を捨てて、越の国を出て斉へ入り、
この国で住居を構え暮らすことにします。
そして彼は住居も決まり、仕事も順調になった頃、同僚であった文種に手紙を送ることにします。
狡兎死して走狗煮らる
文種は范蠡から手紙が来ると喜んでその手紙の封をあけて彼の手紙を読みます。
すると次第に顔が真剣になり、かれはその手紙を机の上において外を見ます。
彼の手紙には「飛鳥尽きて良弓はしまわれ、狡兎死して走狗煮らる。」と書いておりました。
この内容の意味は「功臣は山で取り尽くした後の猟犬と同じではないのでしょうか。」と言う意味。
そしてこの言葉を現在の文種に当てはめるとこのようになります。
「文種殿。越王は苦労を共にすることはできますが、
楽しみや喜びを分かち合うことはできないでしょう。
呉を滅ぼすまでは一緒に苦労を重ねて共有できましたが、
現在呉も滅亡し、昔の功臣であるあなたと楽しみを一緒に共有することは難しいでしょう。
そのため呉と言うウサギを取り終わった越王は、ウサギ狩りに使った功臣達を煮てしまうでしょう。
そうなる前にあなたは官職を捨てて、越王の元を離れたほうが、
いいのではないのですか」と匂わせる意味を持っておりました。
文種はこの文章を読んでから、病と称して政権の運営に参加しなくなります。
しかしこれが越王・勾践に疑われてしまう原因となってしまいます。
彼は文種が国政に参加しないで家に引きこもっていることに対して、
謀反を企んでいるのではないかと疑い彼に剣を送って
「自殺するように」と命令。
文種は天を仰いで大いに嘆いた後、王から送られてきた剣で自殺してしまうのです。
春秋戦国時代ライター黒田廉の独り言
「この狡兎死して走狗煮らる」は前漢の功臣である韓信(かんしん)も使っております。
彼は謀反をしようと思っておりましたが、謀反の計画がバレて劉邦(りゅうほう)に捕まってしまいます。
この時彼は劉邦に范蠡が使った言葉をアレンジして
「狡兎死して走狗煮られ、高鳥尽きて良弓しまわれ、敵国敗れて謀臣滅ぶ」と述べております。
名将・韓信の最後もこの言葉がぴったりと当てはまる最期でした。
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