春秋戦国時代

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執筆者:黒田廉

荀況(じゅんきょう)とはどんな人?始皇帝の法治国家の形成や李斯・韓非の先生

この記事の所要時間: 524




兵士 朝まで三国志

 

商鞅(しょうおう)は秦の国を法治国家として改革したことによって一気に国力は倍増し、

春秋戦国時代最大の勢力にまで発展させます。

だが商鞅が考えついた法治国家としての制度は秦の歴代国王が認めておりましたが、

彼の思想に賛同した人物はあまりいませんでした。

その後秦王政の出現によって六国は滅び天下は数百年ぶりに一つの国として、

統一されることになります。

統一した国家を経営するために秦王政は一つの書物を参考にしたそうです。

 

韓非の本を熟読して感銘を受ける政

 

この書物の名を「韓非子」といい、作者は韓非(かんび)といいます。

彼と秦国宰相となって天下統一した秦帝国の国家経営に参加していた李斯は同じ先生から

学んでおり、ふたりは共通した考えを持っておりました。

その考えは反儒教の考えと法の重要さです。

このふたりに反儒教の考えを教えて法による国家の統治の重要性を教えた人物である

荀況(じゅんきょう)をご紹介していきたいと思います。

 

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斉で勉学を学ぶ

荀況

 

荀況は趙の国の出身で、

趙国(ちょうこく)で勉学を学ぶことをせず諸子百家(しょしひゃっか)が集まる斉国(せいこく)で、

勉学を学びます。

荀況この地で一体何を学んだのかは、

司馬遷(しばせん)が書いた「史記(しき)」には記されておりません。

しかし私の推測によると二つの学問を収めたと考えられます。

 

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荀況が学んだ学問その1:儒教

孔子 儒教

 

荀況はこの地で多分、春秋戦国時代の代表的学問である儒教(じゅきょう)を学んだと考えられます。

その理由は彼が形成した荀子という学問から推測することができます。

孔子先生は仁の精神を説いてから春秋戦国時代における社会は、

君臣と家臣間の仁、親子間の仁、兄弟間の仁など、

状況や場所における仁の精神を大切にすることで人間関係が築かれており、

これらの仁を破壊しないようにすれば社会は安定すると荀況が講師を受けた先生から教わります。

彼は儒教の創始者である孔子先生が説いた「仁(じん)」の教えに釈然としませんでした。

なぜ仁を大切にすることで、人間社会の安定が構築されていくのか。

ならばなぜ戦争という出来事が起きるのか。

などの疑問が次々と湧いてくるので、

この儒教という学問をある程度修めると次の学問を学びに向かいます。

 

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荀子が学んだ学問その2:孟子

孔子

 

荀況は次に儒教の次に代表的である孟子(もうし)を修めに塾へ入ります。

孟子は儒教の基本原理である「仁」の精神を守る為に、「義」の精神が大切であると説きます。

荀況は塾の先生に「義って一体何ぞな?」と質問。

すると先生は「義は儒教が説いた君臣の仁、親子間の仁などの関係を遵守するために必要である

道徳観や規範のことです。そしてこの道徳観を形成するために教育が必要になってくるのです。」

と教えます。

そして塾の先生は「孟子の学問には『人は生まれた時はみんないい人間です。

しかし成長していくにつれていい人間と悪い人間に分かれてしまうので、

幼少期から「仁義」をしっかりと学問で教育することで、

成長した後も「仁義」を学問で修めた事によって悪い人間にならないようにすることが大事です。

現在社会が安定しないのは、仁義の学問をおろそかにしているからです。」

と講義してくれました。

この講義を終えその後も孟子の学問を続けておりましたが、

やっぱり彼はこの学問にも釈然としないものを持っておりました。

まず彼が釈然としない儒教を基本原理としている点が気に入らないのと

「人は生まれた時からみんないい人間?バカな!!何も知らないだけではないか。

ましてや成長過程で仁義を学ぶことで社会が安定なんてするもんか」と胸の内で思い、

孟子の学問を究めることなくこの塾もやめることになります。

 

戦国四君・春申君に仕える

 

斉で不満がたまった荀況(じゅんきょう)ですが、故郷である趙へ帰ることなく斉で仕官。

しかし彼は、同僚からの諫言を受けて仕事をやめることになります。

彼は途方に暮れていたところで戦国四君の一人でキングダムにも登場した

春申君(しゅんしんくん)から「先生の才能を楚で活躍させてみませんか」と誘いが来ます。

彼は迷わず春申君の誘いに快諾し、楚へ向かうことにします。

 

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楚で自分が考えた新たな学問を完成に力を尽くす

花 コスモス p

 

春申君に招かれて楚で仕官するも、既に高齢であったため楚で数年仕えてから、

官職を辞任することにします。

彼が春申君に招かれて楚で仕官した時の年齢は不明ですが学問を行った時の年齢は、

既に50歳を超えており、その後斉王に仕えてから楚で仕官しているので、

推測ですが60歳手前か少し過ぎていたのではないかと考えられます。

ひとつ確実に言えることは高齢であったということです。

彼は楚の官職を辞任した後も斉で修めた儒教と孟子二つの学問に納得が行きませんでした。

そして彼は一つの考えに到達します。

それは「儒教と孟子の考えが気に入らないなら、自分で学問を作ればいいんじゃないか。」との

考えにたどり着きます。

この考えにたどり着いた荀況は新しい学問を完成させるために色々な事を独学で学び始めます。

 

必死に考えた末にできた学問「荀子」

 

荀況は楚で必死に独自で今まで学んだ学問や

春秋戦国時代の初期の学術書などを読みあさって行き、ついに自らが考えた学問が完成します。

その学問の名は「荀子」です。

彼が必死に色々なものを呼んで考え抜いた学問はどのような学問なのでしょうか。

 

儒教と孟子の反対の意見「性悪説」を説く

法正と夏侯淵

 

荀況が完成させた学問「荀子」はどのような学問なのでしょうか。

この学問は「性悪説」を中心としています。

では「性悪説」とは一体何なのでしょうか。

荀況は「人は元々悪を抱いている生き物であり、

道徳観だけでこの悪を制御しようとしても無理である。」というのが性悪説です。

そして彼は性悪説に則って「そこで私はこの悪を制御するために社会で、

しっかりと規則やルールを作って人間をコントロールすることで、

社会は安定することになるであろう」というのが荀況が考えた学問です。

簡単に言うと法を全ての人間に守らせる法治主義を唱えます。

しかしそれでは商鞅が唱えた法家思想をそのまま唱えているだけであり、

なんら新しい学問ではありません。

そこで彼は人を法で持ってギチギチに縛り付けるのではなく、あるものを取り入れます。

 

法と礼を併用することで「性悪説」に対抗する

始皇帝

 

荀況は法を人々に遵守させることで悪を押さえ込むという方法を唱えました。

しかし法でギチギチに人をがんじがらめにしてしまうと、

人間社会は生き苦しくなるであろうと考えておりました。

そこで彼は以前斉で学んだ儒教の

「礼(れい=社会的道徳観から生まれる礼儀や人間同士が守るべきルール」を取り入れることにします。

そして彼は「人間社会には礼を重視している風潮がある。

これは儒教が成立していることが原因である。

ならば儒教が重んじている礼儀を中心に据え、法はこの礼儀を補助する形にすれば人間社会は

性悪を制御することに成功し、安定した世界を形成することができるのではないか」と説きます。

他にも荀子の中では国を収める為に実力主義を用いて治めていくべしと述べたり、

覇者を持って国々を制御するのではなく、王者を持って天下を治めるべしなどを説いております。

この荀況が完成させた学問「荀子」は瞬く間に楚で広がっていき、

すぐに全国にこの学問が広がっていくことになります。

そして彼が打ち立てた学問を修めようと全国各地から人がやってくることになるのです。

 

三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

荀況が完成させた荀子はふたりの人物に受け継がれていきます。

一人は法家思想の大家として知られる・韓非です。

彼は始皇帝から「こいつと友達になれるのであれば死んでも悔いはない」

とラオウみたいなことを言わしめた人物です。

 

李斯

 

もうひとりは呂不韋の参謀役としてキングダムでも活躍した李斯(りし)です。

彼は法律の実務者として非常に優れた人物として歴史に名を残すことになります。

韓非の考えと李斯の実務能力を用いた結果、

秦の国家は法治国家として完璧な物へと変貌を遂げるのです。

この秦の帝国の根底にあるのは「荀子」言っても過言ではないでしょう。

「今回の春秋戦国時代のお話はこれでおしまいにゃ

次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう

それじゃあまたにゃ~」

 

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横山三国志を読んだことがきっかけで三国志が好きになりました。
その後の日本史・中国史を学びました。
またいろいろな歴史小説を読んでおります。
現在はまっている歴史小説は宮城谷昌光氏の劉邦です。

歴史人物:

張遼、孟嘗君、張作霖など

何か一言:

今年も頑張ってはじさん盛り上げていくにゃー!!

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