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三国志演義、後半の主人公として問答無用の大活躍をする御存じ天才軍師
諸葛亮孔明(しょかつ・りょう・こうめい)登場の時から劉備(りゅうび)が
自ら尋ねる等、VIP待遇に見えるのですが、それは三国志演義だけのお話です。
史実では、彼が仕えた劉備軍はガチの年功序列組織であり若い頃の孔明は、
先輩達に抑え込まれ、パシリのような扱いだった時期があるのです。
劉備軍はかなりの体育会系、一年の違いが大違いに
ドライに組織化されているイメージがある曹操(そうそう)陣営に比べて、
劉備陣営は大徳の人、劉備の下、皆、アットホームにわいわいやっている。
三国志演義を見ていると、そんな感じですが、事実はまるで違います。
劉備軍の実態は、傭兵隊長の劉備を中心とした軍事組織でした。
劉備隊長を頂点に、劉備の配下になったのが古い順に序列がついています。
かなり簡単に言うと劉備との付き合いが古い程に偉いという事でした。
西暦184年の黄巾(こうきん)の乱から稼働しているTEAM劉備において、
諸葛亮孔明の加入は西暦208年とわりと後になります。
それは、孔明が加入当時、上にパイセンがごろごろしていた事を意味するのです。
ズバリ、孔明の地位は、どの程度だったのか?
では、具体的に孔明の地位は劉備軍で、どの辺りにランクしていたのでしょう?
分かりやすくする為に階級序列でランキングしてみようと思います。
とはいえ、蜀漢の官制は分っていないので、あくまで目安として魏で制定された
九品官人法(きゅうひん・かんじんほう)を元に序列を再現します。
・西暦214年頃の劉備軍、偉い人ランキング
1位 張飛(ちょうひ)征虜(せいりょ)将軍 三品官
2位 縻竺(びじく)安漢(あんかん)将軍 三品官
3位 関羽(かんう)盪冠(とうこう)将軍 四品官
4位 簡擁(かんよう)昭徳(しょうとく)将軍 四品官
5位 孫乾(そんけん)秉忠(へいちゅう)将軍 四品官
6位 諸葛亮(しょかつりょう)軍師(ぐんし)将軍 五品官
参考文献:「漢書」百官公卿表訳注
著者: 顔師古/班 固/大庭 脩 出版社: 朋友書店
上から数えて6番目、古参には全て水を空けられた孔明
ランキングの通り、孔明は軍師将軍で6位に位置しています。
上には、張飛や関羽など旗揚げの時期から従っていた武将もいるので、
ある意味仕方がないかなとも思いますが、その下の縻竺や簡擁となると、
「何で?」と疑問に思う人もいるでしょう。
いずれにしても、孔明のランキングは縻竺や孫乾、簡擁のような、
あまり手柄を聞いた事がない人物よりも下だったのは事実です。
これこそ、年功序列の最たる特徴であると言えるでしょう。
いかに天下三分を唱え劉備にこれから先のプランを提示したとはいえ
それだけで特別扱いを受けられる程には、劉備軍は甘い組織では、
無かったという事が言えるのです。
下っ端孔明、パイセンパワーに手も足も出ず・・
このような上下関係は表面上の階級ばかりではなく現実にも陰を落とします。
それは、劉備とは一番古い付き合いの簡擁と新参孔明の間で起こりました。
ある時の事、仕事を終えた孔明が長椅子で休憩しようとすると、
そこには先に簡擁が寝そべっており、友達と会話をしていました。
簡擁は視線の端で孔明の姿を捉えていましたが、一切、動く様子はなく
ひたすら会話を続けて孔明を無視し続けていました。
一方の孔明も簡擁に一声もかける事なく、結局、すごすごとその場を
後にするしかなかったのです。
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