英雄記から見た河北の覇者を決める公孫瓚VS袁紹


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袁紹VS公孫瓚

 

公孫瓚(こうそんさん)袁紹(えんしょう)は河北の覇者を決めるべく戦を繰り返し行ってきました。

その中でも最大の戦いと言える界橋(かいきょう)の戦い。

今回はあまり有名ではないが非常に重要であった界橋の戦いをご紹介していきたいと思います。

 

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両雄がついに激突

公孫瓚

 

公孫瓚は幽州(ゆうしゅう)地方を統一し、

青州にいた黄巾賊を打ち破ると満を持して冀州を領有していた袁紹軍と対峙することになります。

公孫賛は自慢の白馬で統一された軍勢を率いて界橋付近に陣を敷きます。

英雄記によると公孫瓚の軍勢は歩兵3万に方陣を敷かせ、歩兵の両翼に騎兵。

そして歩兵と騎馬隊の中央には公孫瓚軍の自慢の精鋭騎馬隊である白馬義従(はくばぎじゅう)を

従わせえておりました。

対する袁紹軍は異民族との戦い慣れしている麹義(きくぎ)率いる約1000人ほどの兵を先鋒にし、

麹義の左右には公孫瓚の騎馬隊に対応するため、数千の弩隊を配置しておりました。

そして袁紹率いる数万の歩兵を中心とした歩兵隊を本隊として後方に配置。

こうして両軍は界橋を挟んで決戦を行うことになります。

この戦いに勝利したほうが河北一体を収める北方の覇者として君臨する非常に大事な一戦でした。


初戦から袁紹軍が優勢に

袁紹が宦官を惨殺に行く

 

公孫瓚は袁紹軍の先鋒である麹義が少ない軍勢であることを知るといきなり勝負を決しようと考え、

精鋭騎馬隊達を一斉に麹義向かって突撃させます。

麹義は公孫瓚の騎馬隊が怒涛のごとく攻め寄せてくるのを確認すると大盾を前面に出し、

兵士達には伏せるように指示して待機。

騎馬隊が至近距離に来ると麹義は大声を上げて全軍を立たせて騎馬隊に突っ込んでいきます。

さらに彼は弩隊へ合図を出すと左右の弩隊から数千の弓矢が騎馬隊めがけて放たれます。

この弩隊の攻撃によって騎馬隊は数を減らしていき、

麹義率いる歩兵隊の攻撃によって次々と騎馬隊が討たれていきます。

袁紹は本隊の歩兵を出撃させて麹義軍と一緒に騎馬隊を蹴散らし、

公孫瓚の本陣に到達すると、本隊に残っていた歩兵・騎兵を粉砕していきます。

この攻撃によって公孫賛の武将である厳綱(げんこう)が討ち死にし、

界橋の戦いは袁紹軍の勝利で終わろうとしておりました。

 

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逃走中の公孫瓚の騎馬隊が袁紹本陣を攻撃

白馬義徒

 

公孫賛軍は袁紹軍の先陣を勤めていた麹義軍の攻撃によって粉砕されてしまいます。

袁紹は公孫瓚の本陣を壊滅させたことによって勝利を確信して鎧を取りくつろいでおりました。

その時、公孫瓚の騎馬隊が袁紹の本陣へ突撃してきて、油断していた袁紹軍へ猛攻を開始。

袁紹の本陣は守備兵が少なく、このままでは壊滅されるおそれが出てきます。

袁紹は剣を取って公孫瓚の騎馬隊と激闘を繰り広げておりましたが、

軍師である田豊(でんぽう)に引きずられて戦場となっている本陣を脱出させられます。

袁紹軍の本陣を攻撃していた公孫瓚の騎馬隊ですが、

帰ってきた麹義の軍勢や袁紹軍本隊の猛反撃に合って退却していくことになります。

思わぬ攻撃を受けた袁紹軍ですが、公孫瓚の軍勢を見事に撃退し、

界橋の戦いは袁紹軍の勝利で幕を下ろすことになります。


  

 

田豊に激怒

顔良と袁紹

 

袁紹は界橋の戦いで勝利することに成功しますが、戦いが終わると田豊を呼んで、

「大丈夫という者は苦戦に追い込まれても戦から逃亡しないで戦って戦死するものだ。

それを安全な後方へ移動させると言語道断である」と激怒します。

しかし田豊は袁紹に反論することなく黙って聞き入れて頭を下げたそうです。

助けてもらってなんてことを言うんだと突っ込みどころ満載の袁紹のエピソードを持って、

界橋の戦いを締めくくりたいと思います。

 

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三国志ライター黒田レンの独り言

黒田廉さん02a

 

袁紹と公孫瓚の界橋の戦いによって袁紹軍が勝利を収めます。

公孫瓚 はその後袁紹軍にジリジリと勢力を狭められることになり、

最後は易京(えきけい)城に篭城することになるのですが、

袁紹軍の猛攻によって易京城は陥落し公孫瓚は滅亡することになります。

界橋の戦いで公孫瓚の騎馬隊が袁紹本陣へ全滅覚悟で猛攻をかけて、

袁紹を討ち取ることに成功していれば・・・・歴史はどうなっていたのでしょうか。

 

参考文献 ちくま文芸文庫 正史三国志魏書1 今鷹真・井波律子著など

 

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