【春秋戦国時代の偉人】武霊王はなぜ胡服騎射を導入したの?

2017年2月11日


 

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春秋戦国時代の・趙・・韓・秦・・楚の国々は偉人と言われた人物を輩出しております。

武将で名を上げればキリないですが、燕は名将楽毅(がくき)を輩出。

趙の代表的な人物である廉頗(れんぱ)趙奢(ちょうしゃ)藺相如(りんそうじょ)も時代を築いた

人物として偉人に数えられるでしょう。

また魏では春秋戦国時代初期に登場した呉起が有名であり、

秦には当時の政治を大幅に改革した商鞅がいます。

楚では戦国四君の最後のひとり春申君がおり、

斉では孫臏兵法で有名な孫臏(そんぴん)がおります。

このように素晴らしい人材が時代を盛り上げておりましたが、

名君と呼ばれる君主は数十年に一度程度しか出ておりません。

上記の七国の名君の一人である武霊王は胡服騎射(こふくきしゃ)と呼ばれる制度を導入し、

従来の軍事面と比較して大幅に軍の改革を施します。

彼はなぜこの胡服騎射を導入しようと考えたのでしょうか。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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軍政改革が迫られていた趙

祁山、街亭01

 

趙は国の中に中山国と言われる国が存在しており、その北東には燕国が控えており、

北西林胡(りんこ)西南には秦や韓などの国が控えており、

これらの国々をぐるりと囲んでおりました。

もし、これらの国々が同盟して一斉に趙へ攻撃を仕掛けてきたら、

首都である邯鄲(かんたん)は陥落し、趙の国は滅亡することになります。

そこで新しい王様となった武霊王は趙を取り巻く厳しい状態を打破するためにどうすればよいかと

常に考えて行かなくてはなりませんでした。

 

重臣と語り合う

多様化が進む蜀の国

 

武霊王は先代の王である粛侯の跡を継いで王に就任します。

彼は王様に就任すると現在の趙を取り巻く厳しい環境をどうすれば、

厳しい状況を打破することができるのかを重臣である肥義(ひぎ)と数日かけて、

今後の趙国の方針について、色々と話し合いを行います。

 

武霊王の野望

 

武霊王はある野望がありました。

それは中山を滅亡させて趙国内から敵を排除すること領土を拡張することでした。

そこで彼は郊外に野台と言われる非常に高いやぐらを組んで中山や斉のある方角を眺め

主だった家臣らに「私の野望は中山を滅ぼして、国内から敵がいない状態を作り出した後、

領土を広げていこうと考えている。」と自らの野望に対する意気込みを伝えます。

 

胡服騎射はここから始まった

騎馬兵 騎馬軍団

 

武霊王は野台で野望達成の意気込みを家臣らに伝えた後、

重臣である楼緩(ろうかん)や肥義らを連れて黄華山(こうかざん)へと登ります。

ここで彼は楼緩に「今趙国は非常に困難な状況に直面している。

我が国の中に中山が存在しており、北東には燕がある。

さらに北西に目を転じれば異民族である林胡が存在し、南西には秦や韓がおり

これらの国々が我が国をぐるっと囲んでいる状況なのは知っておろう。」と自国の説明を

ざっくりと説明します。

この説明を聞いた楼緩は武霊王の言葉に頷きます。

武霊王は楼緩が頷いたことを確認してから「また我の野望も君は知っていると思う。

そこで趙の危機を打破する事と自らの野望達成の為に、

異民族の戦闘方法である騎射を学んで、我が軍に取り入れたいと考えている。

またこの制度を導入するために、中華の服では馬に乗って騎射を行うことは困難であろう。

そのため服装も異民族の真似をしようと考えている。」と述べます。

この言葉を聞いた楼緩は武霊王の政策に対して賛成。

そして武霊王は肥義へ顔を向けると彼は「王よ。制度を改革しようと決断されたからには、

周りの臣下や公族、他国を気にする必要はなく、一気に行ってしまいなさい」と改革を進めます。

武霊王は重臣ふたりが賛成してくれたことで自信が付き、

黄華山を降りてからすぐに自らが一番最初に胡服を着て、

家臣や公族達に自らを模範するように命令を下します。

こうして胡服騎射は誕生することになります。

 

 

春秋戦国時代ライター黒田廉の独り言

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胡服騎射を取り入れた理由は二つです。

一つ目は自らの野望達成の為。

二つ目は自国が他国に包囲されている状況を打破するために強力な軍隊を編成することが、

急務であったことです。

武霊王は旧来の文化、習慣を一切無視して、自国強化に乗り出していきます。

この胡服騎射を取り入れたことによって趙軍は非常に強力な軍隊を編成することに成功します。

「今回の春秋戦国時代のお話はこれでおしまいにゃ。

じかいもまたはじめての三国志でお会いしましょう。

それじゃあまたにゃ」~

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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