呉の孫皓(そんこう)。
暴君として有名であり、家臣に気に食わないところがあったら殺害してしたり、
人の意見に耳をあまり貸さない人物でした。
そんな彼も皇帝の位に就いた当初は飢えている県などに施しをしたりして、
名君になろうと努力をしておりました。
そんな彼はある占い師に占ってもらったところ「○○へ向かうことになるであろう」と
伝えられます。
この占いをきっかけに彼は天下統一を統一できると信じてしまいますが、
この占い結果は孫呉が天下統一することができる占い結果ではありませんでした。
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呉最後の皇帝に孫皓が就任
蜀は魏の鄧艾(とうがい)・鍾会(しょうかい)率いる軍勢によって滅亡。
呉は援軍を蜀へ送ろうと考えておりましたが、援軍が到着する前に滅亡してしまったため、
むなしく帰還することになります。
呉は蜀滅亡後、孫休(そんきゅう)が皇帝になり呉の国内で続いていた内乱を鎮圧しますが、
程なく亡くなってしまいます。
孫休の死後、孫策の再来と評価を受けていた孫皓が皇帝の位に就任。
皇帝の位に就いた当初は名君になるべく色々な慈善政策を行っていくのですが、
豪族連合の上に君臨している政権である呉がこれ以上よくならないと推察してしまったことから、
孫皓は暴走し始めることになります。
※孫皓が暴走したきっかけはレンの推察です
軍事の陸抗・内政の陸凱死す
孫皓が皇帝の位に就任した際、呉の国では陸一族が軍事と政治で重きをなしておりました。
宰相・陸遜(りくそん)の息子である陸抗が軍事を担い荊州(けいしゅう)に駐屯。
晋軍を寄せ付けずに粘り強い戦いを繰り広げ続けておりました。
また内政では陸抗の一族である陸凱(りくがい)が丞相として呉の内政をしっかりと見ていたことで、
呉の国内は孫休が内乱を鎮定した後、荒れることなく安定した政治を行っていくことになります。
しかし呉の内政を担い、孫皓の暴走をある程度食い止めていた陸凱が亡くなってしまうと孫皓の
暴走が徐々に激しくなっていきます。
さらに荊州で晋軍と対峙していた陸抗が亡くなると、呉の軍事力は大いに低下し、
孫皓の暴走を止める人物はいなくなってしまいます。
そんな中孫皓は領土を外に拡大しようと考えて占い師に呉の運命を占わせます。
青蓋洛陽へ入る
孫皓はよく当たると言われる占い師を呼びつけると孫呉の運命を占わせます。
占い師は孫皓の命令を聞いて孫呉の運命を占い、
占いの結果「青蓋(せいがい=王の位にある者が乗ることのできる屋根付きの車)
洛陽(らくよう)へ入る」と伝えられます。
孫皓はこの占いを聞いて大喜びして、占い師に多額の金銭を与えて帰します。
なぜ孫皓は占いを聞いて喜んだのでしょうか。
上記の占いを簡単に説明すると「王様の乗った車が洛陽に入る事になるのでしょう」と言うことです。
洛陽は当時晋(しん)の司馬炎(しばえん)が領土としていた地域で、呉の領土ではありません。
この洛陽へ入ることが出来ると占い結果に現れたことは、孫呉が晋の領土である洛陽を
領有することができると孫皓は考えたから大喜びしたのです。
しかしこの占いは孫皓が考えたような結末を迎えることができませんでした。
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孫呉滅亡。孫皓は降伏して洛陽へ入城
孫皓はこの占いを聞いてから数年後、
晋軍の六方面からの侵攻軍を撃退することができずに降伏することになります。
孫皓は晋に降伏すると帰命侯(きめいこう)の位を与えられることになり、
司馬炎に洛陽へ呼ばれて会見。
こうして孫呉は滅亡することになり、
占い師が出した占い結果は孫皓が降伏して洛陽へ入城するしたことによって、
当たることになるのです。
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三国志ライター黒田レンの独り言
孫皓が占いの解釈を間違ってしまったのは可哀想ですが、
当時の占いは占いを依頼してきたものへ結果を伝えるだけで、
その解釈をしてくれないのがほとんどだったそうです。
ですから孫皓が占い師から聞いた結果を自分なりに解釈したのは間違えではないのですが、
間違った解釈をしてしまうと孫皓のようなことになってしまうのが当時の占いでした。
もし孫皓が占い師の占いを正確に解釈することができたのであれば、
孫呉が滅亡するまでにもう少し時間がかかっていたかもしれません。
参考文献 徳間書店 十八史略 奥平卓・和田武司著など
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