司馬懿を追い落として魏の政権を握った者達はどんな国家を目指していたの?


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魏の二代目皇帝・曹叡(そうえい)は亡くなる間際、曹爽(そうそう)と司馬懿(しばい)を呼んで、

「後継者である曹芳(そうほう)をしっかりと支えていくように」と命令を下します。

三代目皇帝として君臨した魏の皇帝曹芳を支えるべく、

曹爽と司馬懿は協力して行く事になります。

しかし曹爽は魏の政権の立て直しを図るために、

名士出身である司馬懿を高位でありながら何の権限もない太傅(たいふ)の地位に押し上げます。

そして自らが魏の政権を握ることになるのですが、どのような国家にしようと考えていたのでしょうか。

 

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魏の政権を握り、人材を刷新

 

曹爽は司馬懿を閑職へ追いやると自らが魏の政権を運営するべく行動を開始。

まず自らの側近である何晏(かあん)や夏侯一族の秀才である夏侯玄(かこうげん)

魏の政権運営者として登用します。

政権運営の地盤固めが完了すると側近である何晏を呼んで、

今後どのように国家を運営するべきか相談を行います。


「何もしないことを目指すべし」

 

何晏は曹爽から質問を受けると即座に自らの考えを述べます。

彼は「私は舜(しゅん)帝が行った政治を再現するべきであると考えております。

では舜帝がどのような政治を行っていたかというと何もしないことですが、

本当に何もしないわけではなくある条件が揃っていたので、何もしなくてよかったのです。

その条件ですが、舜帝自ら有能な人材を登用して政権を任せたからです。

しかし現状は陳羣(ちんぐん)殿が制定した九品官人法(きゅうひんかんじんほう)を曹魏が、

採用しているので皇帝陛下自らが人材を登用することができない状態です。

そこで九品官人法の改革を行うべきであると考えます。」と述べます。

曹爽は何晏が示した九品官人法の改革案を具体的に聞いて納得すると、

彼を人事登用権を持つ吏部尚書(りぶしょうしょ)へ任命します。

さて何晏が示した九品官人法の改革案とはどのようなものであったのでしょうか。

 

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そもそも九品官人法って何?ざっくり紹介

 

何晏の九品官人法の改革案を示す前に、

九品官人法とはどのようなものであるのかをざっくりと説明しましょう。

まず最高ランクの官職である一品官~九品官までの官職に分類。

そして各地の郡に設置されている中正官と呼ばれる役人達が郡の中にいる優秀な人材を見極め、

ランク分けした一品~九品までの間で評価して中央に送り出すというものです。

例えば五品と評価を受けた人物は4ランク下である九品の官職に任命され、

不正や汚職など事件を起こさず勤勉に働いて行けば、五品にまで上り詰めることができます。

しかし最初の登用の時点で評価を受けた以上の官職へ就くことはできません。

ですから五品と評価を受けた人物が三品の役職に就くことはできません(どんなに優秀な人物でも

原則最初に受けた評価の官職までにしか就任できません)。


何晏が描いた改革案とは

 

上記でざっくりと九品官人法を説明してきました。

さて何晏が曹爽に提案した九品官人法の改革案とは一体どのようなものなのでしょうか。

彼が目指した改革案は人材登用の一本化です。

まず九品官人法で人材評価を下して登用する中正官には人材の評価のみを行う部門として残し、

実際に人材を登用するのは政権の人事部門である吏部尚書が行うことで、

人材登用の一本化を改革案とします。

ではこの改革によって何が変わるのでしょう。

それは皇帝の権力強化による中央集権制支配を確立することにありました。

曹爽の時代は司馬懿ら名士が非常に強い権力を持っており、

時には皇帝の力を上回る権力を見せる事さえありました。

このままでは司馬懿ら名士達によって曹魏の朝廷権力が覆ることがあるかもしれない。

このように考えた何晏は皇帝に権力を集中することによって司馬懿らの名士権力を抑え、

魏の皇帝による政権の運営を図ることを目的としておりました。


  

 

三国志ライター黒田レンの独り言

 

さて何晏が掲げたこの九品官人法改革は成功したのでしょうか。

結果は失敗に終わってしまいます。

その原因は司馬懿のクーデターが起因で崩れ去ってしまいます。

もしこの改革案が実行されていれば魏の皇帝の権力が強化され、

司馬懿ら名士は逼塞された状態に陥っていたことでしょう。

そして何晏や曹爽が目指した国家である魏の皇帝による政権運営が行われていたことでしょう。

しかし魏で一番戦がうまい司馬懿を閑職へ追いやれば、

姜維や呉の攻撃が一段と激しさを増すことになると思うのですが、

そこのところをどのように考えていたのかは何晏に聞いて見ないとわかりません・・・・。

 

参考文献 朝倉書店 十八史略で読む 三国志 渡邉義浩著など

 

 

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