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曹操も劉備もハマってた?三国時代の大人気ゲーム『六博』ってどんなの?

2016年2月5日


 

三国志 麻雀

 

人間にとって娯楽は大切なもの。

 

kawauso 投壺

 

三国時代の娯楽にはどのようなものがあったの?タイムスリップして当時の人に取材してみた

 

 

 

関羽が打った囲碁って、どんなものだったの?

 

といった記事でも紹介しました通り、

ゲーム好きは三国時代の人たちも、現代人と変わりません。

 

漢から三国時代にかけてブームになったという六博(りくはく)』。

いったいどんなゲームだったのでしょうか?

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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墳墓から発見された不思議なダイス

古代ゲーム 出典

(写真出典元:NIHON WORLD)

 

2015年11月、山東省濰坊市の墳墓から、

サイコロやタイルといった副葬品が発見されました。

 

サイコロ 出典

(写真出典元:NIHON WORLD)

 

この墳墓はおよそ2300年ほど前のもの。

戦国時代末期から秦代の物と考えられており

研究者によれば『六博』と呼ばれたゲームの一種に似ているということです。

 

この墳墓は差し渡し100mを超える大規模なものですが、

度々盗掘にあった形跡が残っており、発見

されたサイコロの側から、墓泥棒のものと

思しき遺骨も発見されているそうです。

 

盗掘しに墳墓の中に侵入したはいいが、

何かの理由で閉じ込められてしまったのでしょうか?

 

墓泥棒が発見したのが、自分より先に誰かが

散々に荒らした墓の惨状と、墓の中では

対戦相手もいないから遊ぶこともできない

ボードゲームだけだったとしたら、これは

ずいぶんと皮肉な話です。

 

 

 

ボードゲームの発祥の地はトルコだった?

 

2013年8月、トルコ南東部にある古墳から、

サイコロや様々な形のトークンが発掘されました。

 

この古墳は約5000年ほど前の物と推定されていますが、

発見されたダイスやトークンは放射性炭素年代測定によって

紀元前3000年頃のものであることが判明しています。

 

古墳が建設された時代とは食い違っています。

どのような経緯でそれが古墳に持ち込まれたかは不明ですが、

 

考古学者によれば、そのダイスやトークンは

世界最古のボードゲームである可能性もあると指摘しています。

 

発見されている最古のボードゲーム:セネト

セネトをしているネフェルタリ wiki

(セネトをしている女王ネフェルタリ 出典元:wikipedia)

 

一般的に、現在発見されている最古のボードゲームは、

エジプトの紀元前3500年頃の遺跡から発見されている

『セネト』というゲームだとされています。

 

アメンホテプ3世の墓から出土したセネト wiki

(アメンホテプ3世の墓から出土したセネト 出典元:wikipedia)

 

これは盤面上のコマを、サイコロ代わりの動物の骨を投げ

移動させて競うゲームでした。

後の『バックギャモン』などのゲームの原点とも考えられます。

 

 

『六博』は謎に満ちたゲームだった。

六博に興ずる人を描いた後漢の陶俑 wiki

(六博に興ずる人を描いた後漢の陶俑 写真出典元:wikipedia)

 

さて、肝心の『六博』ですが、

実はどういうゲームなのか、さっぱりわかりません。

漢から三国時代にかけて流行したとされていますが、

南北朝時代に入るとその人気が廃れ、現代には伝わっていません。

 

漢の時代の歴史学者で、『漢書』を記した班固という人物は、

自身の著作で『六博』と囲碁を比べて、囲碁の方が優れていると

そう書き残しています。

 

『六博』はプレイヤー二人が囲碁や将棋のように対戦するゲームで、

盤上のコマを、サイコロを使って動かして競い合うという意味では

『セネト』や『バックギャモン』と似ていますが、

 

一方、将棋のようにコマを取り合うルールもあったようで、

どうやら『サイコロを使う偶然性のある将棋』

といった感じのゲームであったようです。

 

 

方格規矩鏡(ほうかくきくきょう)にソックリ

前漢の方格規矩鏡 wiki

(前漢の方格規矩鏡 写真出典元:wikipedia)

 

面白いことに、この『六博』というゲームに使われた盤面は、

漢から晋の時代に多く作られた方格規矩鏡(ほうかくきくきょう)

という銅鏡の裏面の文様とそっくりとされています。

 

方格規矩鏡には、他にも四神や十二支を意味する文様があり、

占いと関係があることから、『六博』もまた、そもそもは

占いに用いられた道具であったとする説もあるようです。

 

なぜ『六博』は廃れてしまったのか?

 

『六博』が廃れたのは、将棋や囲碁の登場が大きく関係しているようです。

コマを使った対戦、という意味で『六博』は将棋に似ていますが、

将棋のルールが確立すると、サイコロの目の偶然性に依存する

『六博』は嫌われてしまったのかも、しれません。

 

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三國志ライター 石川克世のひとりごと

石川克世

 

『六博』は真面目に勝負するゲームというより、

酒の席の余興など、わりと気軽に騒ぎながら遊ぶゲームだったようです。

三国時代にはまだまだ人気があったという『六博』

 

劉備と曹操

 

曹操劉備と言った英雄たちも酒盃を交わしながら、この『六博』に興じたりしたのでしょうか。

 

それでは、次回もまたお付き合いください。 再見!!

 

古代中国・超科学の世界に挑戦する HMR

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石川克世

石川克世

三国志にハマったのは、高校時代に吉川英治の小説を読んだことがきっかけでした。最初のうちは蜀(特に関羽雲長)のファンでしたが、次第に曹操孟徳に入れ込むように。 三国志ばかりではなく、春秋戦国時代に興味を持って海音寺潮五郎の小説『孫子』を読んだり、 兵法書(『孫子』や『六韜』)や諸子百家(老荘の思想)などにも無節操に手を出しました。 好きな歴史人物: 曹操孟徳 織田信長 何か一言: 温故知新。 過去を知ることは、個人や国家の別なく、 現在を知り、そして未来を知ることであると思います。

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