ハイ、それでは、三国志の世界をいろいろな角度から掘り下げていく
「ろひもと理穂の三国志・呪術の世界」のコーナーです。
タイトルが少し怖くてスミマセン。ホラー系ではないので安心してください。
以前に邪馬台国の女王・卑弥呼が魏に朝貢したお話をしました。
卑弥呼については「魏志倭人伝」に記録が残っています。
そこには「事鬼道、能惑衆」とあります。
鬼道という技を用いて、民をまとめたということでしょう。
鬼道という言葉は、三国志の他の場面でも登場してきます。
それが漢中に一大宗教国家を築いた張魯の実母の紹介シーンです。
今回は鬼道にまつわるお話に触れていきましょう。
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五斗米道
益州北部・漢中に五斗米道の一大宗教国家を築き上げた張魯(ちょうろ)は、
初代・張陵から数えて三代目です。
天師・張陵の孫にあたります。
二代目は張魯の父親である張衡ですが、西暦177年に亡くなっています。
その跡を継いだのが張魯です。
いくつだったのかわかりませんが、このときの張魯はまだ若かったのではないでしょうか。
この地には他にも似たような宗教団体があり、張脩が率いていました。
五斗米道が分裂してできた組織かもしれません。
やがて張魯はこの張脩を倒して教団を一つにまとめあげます。
張魯は曹操に降伏するのですが、五斗米道はその後も受け継がれていきます。
この五斗米道こそが道教の始まりとされているのです。
ちなみに黄巾の反乱を起こした張角の太平道と並んで道教の起源とされています。
張魯の母
張魯の母の名前は詳しく伝わっていません。
盧氏とか陳氏などといわれています。
この張魯の母が鬼道をよくしたと記録されているのです。
鬼道は巫術とも訳されます。彼女はたぐいまれな美貌の持ち主でもあり、
かつ鬼道を扱えることから益州の牧である劉焉に気に入られます。
二人がどのような関係だったかは謎です。
ただ、彼女が劉焉に取り入ったことで息子の張魯が漢中を支配することを許されたといいます。
劉焉は西暦194年に亡くなります。その跡を継いだのが劉璋です。
張魯は漢中で独立し、劉璋はそれに対抗して張魯の母を処刑しました。
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鬼道・巫術とは
一般的にはシャーマンといわれます。
トランス状態になって神や霊と交信したり、
神をその身に降ろしたりすることができる術をもっています。
劉焉は張魯の母の鬼道に魅了され、邪馬台国の民は卑弥呼の鬼道に魅了されたということになります。
はたしてこの二人の鬼道にどれだけの相違点があったのか、
記録されていないのでまったくわかりません。
同じような技であったのかどうか気になりますね。
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道教となって日本に伝わる
五斗米道を起源とする道教はやがて日本に伝わります。
そして地元に伝わる古神道や仏教の密教などの要素を取り入れ、
陰陽道として平安時代の政治に大きく係わっていくことになるのです。
その陰陽道を極めた人が就く官位が陰陽師です。
陰陽師は、10世紀に安倍晴明というスターを生み出しました。
京都には晴明神社が実際にありますね。
安倍晴明は現代でも有名であり活躍しています。
彼が使役する式神とともに平安時代の魑魅魍魎たちを倒すお話はアニメや小説などでよく見かけますね。
この式神と呼ばれる鬼を操る術こそまさに「鬼道」そのものです。
邪馬台国の卑弥呼から伝わる鬼道と、
五斗米道の張魯の母から伝わる鬼道はこうして一つになったのかもしれません。
三国志ライター ろひもと理穂の独り言
邪馬台国と五斗米道、そして平安時代の陰陽師まで話が広がってしまいましたが、
歴史はつながっているのです。
かなり推測の域ではあるものの、
こうしてつなげて想像してみるのも三国志の楽しみ方のひとつなのかもしれませんね。
皆さんはどうお考えですか。
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