はじめての三国志

menu

三国志の雑学

楊彪(ようひょう)は袁術の義弟なのになぜ董卓に殺されなかったのか?

この記事の所要時間: 244




 

ハイ、それでは、三国志の世界をいろいろな角度から掘り下げていく

「ろひもと理穂の三国志四世太尉」のコーナーです。

 

 

三国志を読んでいると、「なぜだろう?」という疑問はいろいろと生まれてきますよね。

その一つに楊彪(ようひょう)がなぜ殺されなかったのか。があります。

楊彪・・・誰だっけ?何か聞いてことがあるような気がする。

という皆さまはなかなかの三国志通ですね。

ああ、あの楊脩(楊修)の父親ね、って即答できるひとは三国志マニアです。

楊彪は西暦142年生まれです。曹操や孫堅が西暦155年の生まれですから、13歳も年上になります。

亡くなったのは西暦225年のこと。

 

 

孫堅、曹操はおろか劉備もすでにこの世を去っています。

84歳までこの三国志の時代を生き抜いた長命な方です。

今回は楊彪について語っていきましょう。

 

はじめての三国志:全記事一覧はこちら

関連記事:呂布VS袁術、東西嘘合戦、勝利するのはどっちだ!




四世太尉の楊家

 

簡単に「四世太尉」と言っても実現しようと思ったらとても大変なことです。

四代に渡って三公の位に就くということになります。

日本で考えたら曾祖父がもと内閣総理大臣で、

祖父ももと内閣総理大臣で、父ももと内閣総理大臣で、僕も内閣総理大臣です。

っていうのに匹敵します。

まさに名門中の名門と言えるでしょう。エリート中のエリートです。

楊彪の場合は、曾祖父の楊震、祖父の楊秉、父の楊賜と三公の位に就いています。

楊彪もやはり優秀で、西暦189年に司空、同年に司徒、西暦194年に太尉と三公すべてに就任しました。

この四代をして「四世太尉」とか「四世三公」と称されます。

ちなみに楊彪を司空に任命したのはあの「董卓」です。




四世三公の袁家

 

同格の名門に汝南の袁家があります。

こちらも四代に渡り三公の位に就いた名門です。

ちなみに先ほど紹介した楊彪の父・楊賜と袁術の父・袁逢は共に霊帝の頃の三国老でした

(時期はずれているようですが)最も影響力のあった政治家だったわけです。

ここで両家の政略結婚が行われます。楊賜の子・楊彪と袁逢の娘の婚姻です。

袁逢の娘ということは袁術の妹です。こうして楊彪と袁術は義理の兄弟となるのです。

 

袁家虐殺

 

その後、朝廷を董卓が私物化します。反抗したのは袁紹や袁術でした。

国に戻って兵を挙げます。怒った董卓は都にいる袁家を虐殺するのです。

そこには三公になっている袁隗(袁逢の弟)や袁逢の長子で家督を継いでいた袁基などがいました。

袁家は三族皆殺しになっています。二十名以上の袁家一門が処刑されて都から袁家の姿は消えました。

その後、宙に浮いた袁家の家督を巡って袁紹と袁術が争うことになります。

袁家が虐殺されていくなかで、袁術の義弟の楊彪はどんな処分を受けたのでしょうか。

 

 

答えは意外なのですが、先ほどお伝えした通りに三公に任ぜられているのです。

両家の扱いはもの凄い開きがありますね。一方は処刑、一方は昇進です。

なぜでしょうか。

 

関連記事:暴漢・董卓は後漢王朝を安定させようと努力していた!

関連記事:中原での戦いは苦手だけど異民族討伐戦なら強い董卓

 

名士を完全に無視できなかった董卓

 

あの暴虐の王・董卓ですら名士の扱いには慎重だったのです。

天下を統べるためには彼らの強い後押しが必要だと考えたのだと思います。

董卓は暴力だけでなく、清流派の官僚をコントールすることで朝廷を我が物としたのです。

そこで利用価値の高かった楊彪は生かされたのでしょう。

長安への強硬遷都のときも楊彪は徹底的に反対していますが、

罷免されただけで命まではとられていません。

あの董卓に逆らってもまだ健在な官僚がいたとは驚きですね。

それだけ楊彪は名士たちのリーダー的存在だったということでしょう。

これは董卓が革命で死んだ後も続きます。

長安の都を押さえた董卓の残党・李傕は楊彪を太尉に任命するのです。

 

三国志ライター ろひもと理穂の独り言

 

長命な楊彪はその後、曹操の世になっても生き続けます。

漢が滅び、魏の曹丕の時代になっても曹丕は楊彪を三公に任命しようとしています。

まさに名士たちの代表、それが楊彪だったのですね。

しかしなぜ「五世太尉」は実現しなかったのでしょうか。

それは次回にお伝えしたいと思います。

 

はじめての三国志:全記事一覧はこちら

関連記事:董卓が築城した要塞が絶対防御すぎてヤバイ!郿城(びじょう)とは何?

関連記事:極悪人の董卓の参謀・李儒は董卓以上の悪人だったの?

 

—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—

 




ろひもと理穂

ろひもと理穂

投稿者の記事一覧

三国志は北方謙三先生の作品が一番好きです。

自分でも袁術主役で小説を執筆しています。ぜひこちらも気軽に読んでください!

好きな歴史人物:

曹操、蒲生氏郷

何か一言:

袁術は凄いひとだったかもしれませんよー!!

関連記事

  1. 【ビジネス三国志】孟獲から学べ!相手の心を掴むビビッドなキャッチ…
  2. 【後漢王朝はこうしてダメになった】外戚VS宦官の争いってどうして…
  3. 【はじめての孫子】第10回:九変の利に通ずる者は、兵を用うること…
  4. 曹丕が建国した魏ってどんな王朝でどうやって滅びたの?
  5. 世界一お粗末! 菫承の曹操暗殺計画。間男の恨みでぶち壊しに!
  6. 郭嘉が断言した曹操が袁紹に勝つ10の理由
  7. 魏の2代目皇帝・曹叡(そうえい)はいったいどんな仕事をしていたの…
  8. 【これは悲しすぎる】今や忘れさられた袁術の墓

google検索フォーム

過去記事を検索できます

ピックアップ記事

おすすめ記事

  1. 【超レアな儀式】真の皇帝にしか許されない封禅の儀式って何?
  2. 三国志一騎打ちの強さベスト10!一騎当千は誰だ!
  3. 王翦(おうせん)とはどんな人?キングダムでは謎多き将軍だが史実では秦の天下統一に貢献した人物
  4. 95話:馬超と張飛の一騎打ち
  5. 曹真が余計な事をするから邪馬台国の場所が特定出来なくなった?
  6. 裴松之(はいしょうし)の神編集!異論反論ブチ込みまくりで三国志が激アツに!

三國志雑学

ピックアップ記事

おすすめ記事

周宣(しゅうせん)とはどんな人?夢を占わせれば、九割の精度を誇った魏の夢占い師 羊祜(ようこ)ってどんな人?皆に慕われた名将 【三国志あるある】懐かしい!と思った人は40代!昭和では当たり前だった三国志事情 ええっ!曹操と劉備は元々は仲が良かったって本当? みんな大好きウ◯チの話!三国志時代のトイレ事情 東方明珠のへなちょこ黄河旅行記 その2 三国志ベストコンビネーション賞!感心・感動したコンビ10選 曹操と劉備はどうしてライバル扱いなの?【三国志の素朴な疑問】

おすすめ記事

  1. 【シミルボン】孔明も騙した?蜀に似合わないテキトー人間 何祇の人生
  2. 3話:秦が中華統一できたのは秦が三流国家だったから?
  3. キングダムでお馴染みの秦の函谷関ってホントに難攻不落だった?函谷関に隠された秘密
  4. 甘寧や袁術もびっくり!実は大事にされた料理人(厨師)
  5. ライバルへの最期の言葉、劉備と曹操のイイ話
  6. 皇帝には、二つの名前があった!?諡号(しごう)とは何?
  7. 【センゴク】西の覇者毛利水軍vs織田水軍の戦い「木津川口の戦い」
  8. 朝まで三国志 三国志最強のワルは誰だ(笑) 第5部

はじさん企画

袁術祭り
特別企画
異民族
諸子百家
春秋戦国時代
日常生活
はじめての三国志TV
PAGE TOP