さて袁術と言えば「而術奢淫肆欲、徴斂無度、百姓苦之」と正史に書かれているお方。私欲で豪華な生活を行い、民百姓を苦しめたとされる人物。
しかし袁術は決して他者への思いやりに欠けてばかりという訳ではないのが分かるのが、陸績とのみかんエピソード。今回はちょっとこのエピソードをご紹介しつつ、お話したいと思います。
この記事の目次
陸績君六歳、父に連れられ大金持ちの袁術サマにご挨拶
さて陸績は名前を見たら察する人もいるかもしれませんが、陸遜の叔父にあたる人物です。因みに陸遜より年齢が下なので、年下の叔父さんになります。
そんな陸績の父親、陸康は廬江郡の太守をしていました。そして当時、寿春で一大勢力を築いていたのが、恐らくは後々に皇帝になるであろう(なっちゃった)袁術です。その袁術の元に挨拶に行く父に連れられ、六歳の陸績は袁術と相対します。
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油断も隙もねえ!六歳でみかんをパクる豪胆な陸績
袁術との会食に、陸績も同席したものと思われます。そこで陸績が口にして、美味しくて驚いたのがみかんです。余りにも美味しかったのか、陸績はみかんを三つ取り、袖に隠しました。隠して持って帰ろうとしたのですね。
なんかアルプスの少女を思い起こしますね
さてお話も終わり、一礼して退出することになりました。しかしこの時、袖からみかんが転げ落ちてしまったのです。
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ママにもみかんを食べさせたかったの…陸積の機転に袁術号泣
それを見た袁術様、優しく諭します。「陸績君、君はまだ六歳だろう。そんな幼い身でありながら、どうしてそんな盗人のような振る舞いをするんだい?」
まずは落ち着いて理由を聞いて諭す、大人の振る舞い。
幼い陸績は答えました。「とても美味しくて立派なみかんだったので、母上に食べさせて上げたかったのです……」これには袁術様の目にも涙、古今稀なる孝行者、と絶賛され、これは後世の模範として二十四孝にまとめられたのでしたとさ。
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君がみかんパクった陸績君かい?(爆笑)by諸葛亮
さてさてこの親孝行エピソード、三国志演義でも触れられています。しかし決して陸績を褒めるような話ではありません。赤壁の戦い前、諸葛亮と論争をしようとする陸績相手に諸葛亮は
「あっ君もしかして袁術から蜜柑盗もうとした陸績君かな?」とか言われて恥をかいてしまうエピソードとして!こいつぁ袁術様もおこだぜ!
しかし、三国志演義の赤壁の戦いは諸葛亮の凄さを見せつける場面ですし、そこで「陸績君って親孝行で優秀なんですよ!」とか言えないからなんでしょうかね。じゃあ陸績なんで出したん?とかなりそうですが。
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