三国志で贅を極めた(?)曹操(そうそう)の有名なセリフがあります。
曹操(そうそう)「老後は2人の絶世の美女、
大喬(だいきょう)と小喬(しょうきょう)を銅雀台に侍らせて過ごしたい。」
本当にこんなセリフを言葉どおりの意味で言ったのかは実は定かでは無いところもありますが、
こうして曹操(そうそう)は銅雀台を準備しました。
この銅雀台とはハイクオリティな宮殿です。
銅雀台は当時曹操(そうそう)の最大のライバルであった袁紹(えんしょう)から奪った
領土である鄴(ぎょう)という都に建てられました。
袁紹(えんしょう)亡き後、最大の財と富を所有した曹操が造らせたため、
当時の最大の豪華絢爛な宮殿でした。
関連記事:銅雀台(どうじゃくだい)ってなに?どんな建物で何をするところだったの?
この記事の目次
三国志演義における銅雀台の宴
そこで何をしていたのか、に関しては、三国志演義によれば、宴会をやっていたようです。
演義での記述は恐らくフィクションですが、銅雀台の使用用途となると限られますので、
大体史実でも同じような事をしていた可能性が高いです。
今回は三国志演義に記された「銅雀台の宴」を御紹介します。
銅雀台の宴での曹操の装い
三国志演義では、曹操(そうそう)は銅雀台が完成した時に、
「建造記念パーティー」を行うことにしました。
文武百官を一同に集め、慶賀の宴を催しました。
曹操(そうそう)は、七宝の王冠を被り、緑錦の袍を纏い、眩い光を放つ黄金の太刀を玉帯に備え、
光り輝く珠履を履くという、全身金銀財宝の眩しすぎて直視できないような服装をしていました。
ですが、それ程の眩さを纏うことで「我こそは王」とその姿で述べていたのでしょう。
当時、まだ漢の皇帝の献帝が生きていますが…。
宴の肴・No.1 アーチャー決定戦
一同、祝宴の席に並んだ時、曹操(そうそう)は言います。
曹操(そうそう)「ここにいる武官達は、余が直々に選び鍛えた部下たちじゃ。
他国の者とは比べ物にならぬ程優れていると思っておる。
じゃが、我が部下達の中で特に優れて者は誰であるのか。
そなたら武官達の弓勢の程を見せてくれ。」
そういって、蜀で作られた赤い錦の袍(ひたたれ)を柳の枝にかけさせ、
その下に垜(あずち=的の背後に土を山状に盛ったもの)を築かせて的を用意させました。
ここで曹家の面々は赤の袍を、外様の面々には緑の袍を着せ、
異なるユニフォームでチーム分けを行いました。
彼らは各々、珠玉をちりばめた祝宴用の弓と長身の矢を携え、
馬に跨り手綱を控えスタートの合図を待ちました。
アーチャー決定戦・開幕!
曹操(そうそう)「的の真ん中の赤丸を射抜いた者には、錦の袍をとらす。
ただし、失敗したものは、罰杯の水を飲ます。」
その言葉と同時に、赤チームから一騎の馬が飛び出します。
馬を駆るのは、若年の大将、曹休 文烈(そうきゅう ぶんれつ)でした。
曹休(そうきゅう)は馬を乗り廻しながら体勢を整え、弓に矢をつがえ狙い澄まして矢を放ちます。
放たれた矢は、見事に的の赤丸に突き立ちました。
たちまち銅鑼と太鼓が一斉に轟き、一同曹休(そうきゅう)を讃え喝采を浴びせます。
見ていた曹操(そうそう)も曹操(そうそう)「でかしたぞ、我が一門の誇りじゃ。」
と顔をほころばせ、曹休(そうきゅう)を讃えます。
赤チームが射抜いたが・・・
曹操(そうそう)「曹休(そうきゅう)に射抜いた袍を与えよ。」
その時、緑チームからも一騎の馬が飛び出しました。
???「丞相の錦の袍は、我ら外様にこそ賜ってしかるべき物、御一門からの抜け駆けは御遠慮下され。」
曹操(そうそう)が見ると、文聘 仲業(ぶんぺい ちゅうぎょう)でした。
文聘(ぶんぺい)は、他国との国境守備を任される曹操(そうそう)からの信頼も厚く、
また忠義の士として文武官達に知られています。彼を見た一同は、
一同「文仲業(ぶん ちゅうぎょう)殿の手並み、是非拝見したいものだ」
と言い合います。文聘(ぶんぺい)は馬を飛ばし、矢を放つと見事に赤丸に矢が立ちました。
一同はどよめき、銅鑼と太鼓が再び轟渡りました。
緑チーム文聘、袍を射るも・・・
文聘(ぶんぺい)「袍、頂戴つかまつる。」
文聘(ぶんぺい)が叫んだその時、今度は赤チームから一騎の馬が飛び出します。
馬を駆るのは、曹洪 子廉(そうこう しれん)です。
曹操(そうそう)の従兄弟でもある彼は、
弓馬や武芸に熟達した優れた将であることは周知の事実でした。
曹洪(そうこう)「文烈(ぶんれつ)が先に射当てたものを、
横合いからとろうとは猪口才な。それはわしが頂いて置く。」
一同、『オマエも他人が射抜いたものを横合いから取ろうとしているじゃん』
というツッコミをするよりも、
武芸に精通した彼の弓に興味を惹かれます。
曹洪(そうこう)が矢を放つと、三度赤丸に矢が突き立ちました。
一同は曹洪(そうこう)に喝采を浴びせます。
緑チーム「ただ射るだけなら、誰でもできる!」
曹洪(そうこう)は袍を取りに向かおうとすると、
またしても緑チームから、一騎の馬が飛び出しました。
飛び出したのは、魏の五大将軍として後世まで名を知られる張郃(ちょうこう)でした。
袁紹(えんしょう)の元配下であり、その勇猛を知る一同は皆彼の登場にフィーバーします。
張郃(ちょうこう)「見ていればただ単に的を射るだけの各々方ごときの事、
誰にでもできるわ。それがしの手並みを見られよ。」
張郃(ちょうこう)はそう言うと定められた仕切り線まで近づいた後、的に背を向けて、
ひらりと身をひねって後ろざまに矢を放ちました。
後ろ様に放たれた矢は袍の赤丸の上に吸い込まれていき、
4本の矢が赤丸の上に立ち並びました。
一同「御見事、御見事」
一同は声を揃えて彼の技を称えました。
赤チーム「それならこっちも!!」
張郃(ちょうこう)「錦の袍はそれがしが貰い受ける。」
そう言う張郃(ちょうこう)を遮るかのように、赤チームから一騎の馬が飛び出しました。
夏侯淵(かこうえん)でした。ここで、
「あれ?名前に”曹”の字が入っていないのに曹一門の赤チームなの?」
と思ってしまう方もいるかもしれませんが、
曹操(そうそう)の父、曹嵩(そうすう) は元々夏侯氏なので、彼は立派な曹操(そうそう)の親類です。
夏侯淵(かこうえん)「そなたが後ろざまに射当てたならば、
わしはさらにそなたらの真ん中を射抜いて見せるぞ!」
そう言って、張郃(ちょうこう)と同様、後ろ様に矢を放ちました。
放たれた矢はこれまで的に突き立てられた四本の矢の真ん中に突き立ちました。
銅鑼太鼓が一斉に鳴り響く中、夏侯淵(かこうえん)が馬を止めました。
皆から喝さいを浴び、夏侯淵(かこうえん)が優勝者と言わんばかりの状況です。
三国志ライターFMの独り言
夏侯淵(かこうえん)が的を射たことで、赤チームが優勢となりました。
しかし、血の気の多い、曹操(そうそう)の武官達、そう簡単には優勝者が決まりそうもありません。
三国志演義はこの後、まともな競い合いから一転して、
大きな争いを生む結果となります…。
小説、三国志演義に記されたこの銅雀台の宴は、あくまでフィクションです。
しかし、実際にもこのような宴が催されていたというのは想像に難くないでしょう。
それにしても、曹操(そうそう)からの景品が欲しいのか、
それとの自身の腕を見せつけたいのか、一同俄然やる気ですね。
次回記事:こんなに豪華!三国志演義の銅雀台の宴を再現してみるよ【後半】
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