杜襲(としゅう)。
曹操が許に後漢王朝の皇帝を迎えた頃に仕え、
魏の重鎮として数々の役職を歴任した人物です。
そんな彼ですが、曹操に仕え始めた頃ある県の県長に任命されます。
ある県の県長に就任した彼は住民と協力して県の統治を推し進めていくのですが、
杜襲が治めていた県に劉表軍が攻撃を仕掛けてきます。
彼は住民と団結して劉表軍を迎え撃つことになるのですが、
どのような対応をして劉表軍を迎撃したのでしょうか。
荊州から帰ってきて曹操に仕える
杜襲は友人と一緒に荊州(けいしゅう)にて身を寄せておりましたが、
このままこの地にいても出世することができないと感じ、
郷里へ帰ってきます。
彼が郷里に帰ってきた頃、
曹操が後漢王朝の皇帝を自らの勢力地である許に迎え、
自らの勢力拡大に動いておりました。
曹操は杜襲が郷里に帰還していることを知ると「西顎(せいがく)の県長にするから
俺の仲間にならないか。」と誘います。
杜襲は曹操の誘いに応じて西顎の県長に就任することになります。
荒れ果てていた西顎
杜襲が西顎の県長に任命された頃の西顎は荒れ果てておりました。
その原因は西顎の立地に関係しておりました。
この地は荊州との国境に近く、
いつ劉表が軍勢を興して攻撃を仕掛けてくるかわからない状態であるため、
民衆は城に立てこもっておびえている状態でした。
民衆が城の外で農業を行なわないため賊が周辺の田畑を荒らしており、
治安は最悪な状況でした。
杜襲はこの荒れ果てていた西顎へ赴任すると民衆と協力して、
この地を立て直そうと考えます。
さて彼はどのようにしてこの荒れ果てた西顎を立て直していくのでしょうか。
老人や若者を分散させて田畑を耕させる
杜襲は民衆と協力し、老人や若者を城外に出して田畑を耕すようにと進めます。
しかし彼らだけで城外に出ても再度賊に襲われたら意味がないので、
体格のがっちりしている男性を集めて防衛部隊を作り、
賊が田畑を耕している民衆達へ乱暴狼藉を働かないように監視させます。
上記の結果、老人と若者が田畑を耕している間は、
ガタイのいい防衛部隊が監視しているため賊軍が襲来してくることなく、
民衆は安心して田畑を耕していくことになります。
そんな西顎の県に大事件が勃発することになります。
一万の劉表軍がやってくる
西顎へ劉表軍の部隊一万がやってきていると通報が入ります。。
杜襲は今までどおり民衆達へ田畑を耕させるとともに、
ガタイのいい防衛部隊に招集をかけて「城外で耕作している民衆を防衛するために
戦ってくれないか」と協力してくれるように要請。
民衆達は杜襲の言葉に頷いて城外で劉表軍を迎え撃つことを約束して、
城外で田畑を耕している民衆達を防衛するために城外へ出陣します。
この防衛部隊の人数は立ったの50人しかいませんでした。
劉表軍に倍以上の損害を与えるも・・・・
杜襲率いる防衛部隊は劉表軍を迎撃するために出陣していきます。
こうして西顎の城外で両部隊は戦うことになります。
杜襲の防衛部隊は一万の部隊と戦い倍以上の損害を与えることに成功しますが、
防衛部隊も大損害を受けてしまいます。
50人しかいない防衛部隊の内半分は亡くなってしまい、
残りの半分も傷を負っていない者がいない状態でした。
防衛部隊は城内に帰還して、劉表軍と再度戦いますが、
当初のような攻撃力も迎撃力も無い状態であったのですぐに城門を破られてしまいます。
杜襲は防衛部隊の生き残りと民衆を率いて城内に入ってきた劉表軍を突破し、
曹操軍が駐屯している場所にたどり着くことに成功。
杜襲が率いていた防衛部隊で裏切る者は一人もいなかったようです。
三国志ライター黒田レンの独り言
杜襲率いる防衛部隊と民衆は曹操軍の陣営に到着することになります。
その後西顎の民衆達は劉表軍の攻撃が収まった後、
西顎を出て杜襲を追いかけて曹操軍の陣営に駆け込んで来ることになります。
杜襲がどれだけ民衆に愛されていたのかがわかるエピソードを最後に
ご紹介させていただきました。
参考文献 ちくま文芸文庫 正史三国志魏書4 今鷹真・井波律子著など
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