【呉最強説】孫権率いるレッドな政権孫呉軍団の弱点ってあるの?


 

いきなり質問です。

はじめての三國志を読んでいる読者の皆様は、

三国志で赤いのイメージカラーを持っている軍団と言えばどの群雄を思いつきますか。

後漢王朝でしょうか。

それとも董卓(とうたく)でしょうか。

 

 

レンが考える赤いイメージカラーを持っている軍団と言えば、

赤壁・夷陵の戦いで火計を使って勝利している孫呉政権しかいません。

今回はそんな火計が得意なレッドな軍団を率いる孫権の孫呉政権の弱点について

ご紹介していきたいと思います。

 

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レッドな軍団孫呉政権の弱点とは!?

 

レッドな軍団孫呉政権の弱点とは一体何なのでしょうか。

それはレッドな軍団である孫呉政権を支えていた二本の柱です。

二本の柱とは一体何なのでしょうか。


レッドな軍団孫呉政権を支えていた二本の柱とは!?

 

レッドな軍団孫呉政権を支えていた二本の柱とは一体何なのでしょうか。

それは屯田(とんでん)軍による軍政支配と地元豪族達をトップとした開発領主の事です。

曹操率いる魏も屯田を実施しておりましたが、

なぜ孫呉政権が実施した屯田が弱点となってしまうのでしょうか。

そして開発領主とは一体何なのでしょうか。

色々と疑問が沸いてくると思いますが、

まずはレッドな軍団である孫呉政権の一本目の柱である

屯田軍による軍政支配についてご紹介しましょう。

 

波動の時代を生きた先人たちから学ぶ『ビジネス三国志

 

レッドな軍団である孫呉政権を支えた屯田軍による軍政支配とは

 

レッドな軍団である孫呉政権が実施した屯田軍による軍政支配を説明する前に

屯田軍が誕生した経緯からご説明しましょう。

孫権は兄・孫策(そんさく)の跡を継いだ当初屯田軍は存在しておらず、

「世兵制(せいへいせい)」と呼ばれる制度でした。

この世兵制と呼ばれる制度はある将軍が亡くなった時、

この将軍が率いていた兵が親子兄弟間で引き継いでいく制度の事です。

という事はレッドな軍団孫呉政権は将軍が各々兵士を保有していたと言うことになります。

そのため孫呉政権は各々私兵を有した独立性の高いレッドな軍団が寄り集まって、

孫呉政権の土台となっていたのです。

孫権は独立性を持った将軍達が私兵を養うことが出来るよう、

将軍達に領土を与えて経済的な基盤を与えておりました。

しかし孫権は孫呉政権が安定してくると将軍達に領土を与えることをやめる代わりに

未開拓の地を開発して土地を差配する権限を付与します。

こうして私兵を率いているレッドな将軍達は未開拓の地を私兵を使って

効率の良く土地開発を行っていくために屯田軍を成立させていくのです。

孫権は世兵制を率いる将軍達に未開拓の地をガツガツ開発させて行く事で、

孫呉政権の農業生産力がアップするとともに、

私兵を有している将軍達へ土地を与えることが出来るという二つの利点を持っておりました。

しかしこの屯田軍には大きな弱点がありました。


屯田軍の弱点とは

 

レッドな将軍達は孫権から未開拓地の土地を開拓し、

その地を差配することのできる権限が付与されると屯田軍を率いて、

開発されていない未開拓の地へ向かっていきます。

こうして屯田軍を率いるレッドな将軍達が未開拓の地を切り開いていき、

江南地方の農業生産力アップに大きく貢献することになります。

しかし未開拓の地を開発するレッドな将軍率いる屯田軍には大きな弱点がありました。

それは江南地方の未開拓地がいっぱい有り、

将軍達が抱えている屯田軍だけでは労働力として全く足りていなかったことです。

孫権はそこでレッドな将軍達から「同情するなら労働力をくれ!!」と訴えられると

ある地方に目を付けるのでした。


  

 

異民族を討伐して屯田軍の弱点を克服

 

孫権はレッドな将軍達へ

「お前ら労働力が足りないなら異民族を討伐すればいいじゃあないか」と提案。

レッドな将軍達は「確かに孫権様の言う通りです」と頷き、

江南地方に存在している異民族達を労働力とするため出陣していきます。

しかし江南の孫呉政権より先に住んでいた異民族達は、

孫呉政権下で労働力として働くことを良しとせず抵抗することに。

そのためレッドな将軍vs異民族軍のバトルが勃発。

結果は孫権の援助を受けていたレッドな将軍達率いる屯田軍の勝利に終わります。

レッドな将軍達に敗北した異民族達は降伏したり、

征服されたりしてしまい労働力もしくは兵力として組み込まれることになります。

こうしてレッドな将軍達に労働力として組み込まれた異民族達が、

労働力として働く事によって屯田軍の弱点は克服されることになります。

そして異民族と屯田軍を率いた将軍達は、

江南の未開拓地をガツガツ開発して行っていくことになるのです。

そして将軍達は異民族と屯田軍を使って江南の未開拓地を開拓し、

領土として与えられることになります。

そして領土を与えられた将軍達は、

与えられた領土を統治するために軍事力をもって行政支配を行っていくことになり、

領土内の農民たちを私的に使っていくことになるのです。

上記が孫呉政権を支えている一本目の柱「レッドな将軍率いる屯田軍の軍政支配」と

して確立するのです。

 

関連記事:孫権が帝を称した時なぜ蜀で孫呉との同盟破棄の言論が巻き起こったの?

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地元豪族達をトップとした開発領主とは

 

孫呉政権が成立していた江南地方には未開拓地が多く存在しておりましたが、

中原と同じくらい開発されている土地も少なからずありました。

会稽(かいけい)や呉など春秋時代に呉や越と言われた地域です。

この地域には大きな勢力を持った豪族がおりました。

 

 

一例として呉の丞相として名高い陸遜(りくそん)が大勢力を持った豪族に当たります。

陸遜は豪族として大きな勢力を持った領主として君臨しており、

江南の未開拓地と比べてはるかに開発の進んだ土地を持っておりました。

しかしまだまだ開発可能な土地がいっぱいあったため、

陸遜が保有している労働力である兵士だけでは足りず、

異民族討伐を行って未開拓地を開発する労働力を確保。

こうして陸遜や他の大勢力を保有していた豪族も

屯田軍を率いていたレッドな将軍達と同様に

ガツガツ未開拓地を開発していき領土を増やして行きます。

上記が孫呉政権の二本目の柱である「地元豪族達をトップとした開発領主」です。

この土地を保有した未開拓の地を開発していく領主達と

屯田軍を率いて土地を開発し、

孫権から領土を与えられて軍政支配をしている将軍達を土台として、

孫呉政権が成立していたのです。

レッドな軍団である孫呉政権にとって良い事づくめのような感じのする二本の柱ですが、

実は孫呉政権にとって最大の弱点でもありました。

 

関連記事:忠義の士・陸遜に迫る!陸遜は呉でクーデターを起こすことはできたの?

関連記事:初心者にも分かる!陸遜と諸葛亮孔明の関係性

 

二本の柱が孫呉政権の弱点である理由とは!?

 

孫呉政権はレッドな将軍達による軍政支配と

地元豪族達をトップとした開発領主の上に成り立っていたことは上記で説明しました。

しかしこの二本の柱の上に成立している孫呉政権にとって、

弱点であったのは一体なぜなのでしょうか。

その理由は孫権だからこそこの二本の柱を取りまとめることができたからです。

なぜ孫権しか二本の柱を取りまとめることができなかったのでしょうか。

孫権は二本の柱を束ねるため

豪族達(開発領主)とレッドな将軍との間で主従関係(任侠的な主従関係)を構築。

そのため孫権と任侠的な主従関係を結んだ豪族や将軍達は孫権へ忠誠を誓って、

孫呉のために働いておりました。

しかしこの任侠的主従関係は孫権と当代限りで結ばれた関係であったため、

開発領主やレッドな将軍達の次世代や孫の世代となった場合、

孫権との主従関係の濃度は薄まっていき忠誠心が成立しにくい状況になっていきます。

さらに孫権が亡くなった場合、

孫呉政権を支えていた二本の柱である開発領主やレッドな将軍達は、

まとめる者がおらずバラバラになってしまいます。

もし二本の柱がバラバラになってしまえば孫呉政権は自壊してしまいます。

そこで孫権亡き後孫呉政権のトップに就任した新たな君主は、

再度主従関係を結なくてはなりません。

しかし孫権の跡を継いだ新君主が頼りなかったりポンコツであった場合、

豪族や将軍達は新たに主従関係を結ぶ必要もなく魏や蜀に寝返ることも可能でした。

このような理由から二本の柱が、

レッドな軍団孫呉政権の弱点と言えるのではないのでしょうか。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

 

では孫呉政権がしっかりとした政権基盤を得るためには、

一体どうしたら良かったのでしょうか。

レンが考えるに魏のように法による制度を制定した法治国家が、

良かったのではなないかと思います。

一例として、

春秋戦国時代の楚(そ)も貴族支配による連合政権でしたが、

天才兵法家であった呉起(ごき)によって、

法整備がされ強力な国家として生まれ変わることができました。

(法治国家として誕生する寸前で楚の貴族達に殺されてしまいましたが・・・・)

この一例を用いて孫策・孫権が法によって江南地方を統治していくことができていれば、

二本柱を土台とする連合政権ではなく、

強力な国家を成立させることができたのではないのでしょうか。

そして蜀が滅びた後もレッドな軍団孫呉政権が晋に単独で抵抗することも

可能であったかもしれません

 

参考文献 講談社学術文庫 魏晋南北朝 川勝義雄著など

 

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