三国志で一番人気の君主・劉備(りゅうび)。
三国志の蜀の初代皇帝として君臨し、
多くの勇将や猛将を付き従えて宿敵・曹操(そうそう)と激戦を繰り広げます。
しかし今回は蜀で一番強い武将ではなく一番忠誠心を持っていた武将を
レンの独断と偏見で正史三国志・蜀書から、
忠誠度高いランキングトップ3を付けてみたいと思います。
関連記事:曹操が大好きだった忠義の人物を勝手にランキング化してみるよ
この記事の目次
忠誠度ランキング3位:体がボロボロなのに戦場で忠誠度を見せつけた蜀の将軍・張嶷
忠誠度ランキング3位にランクインしたのは蜀の将軍・張嶷(ちょうぎょく)です。
張嶷は蜀の五虎将軍に比べればかなり知名度は劣るかもしれませんが、
忠誠度に関しては五虎将軍と比較しても全く見劣りしない将軍です。
どれだけ忠誠度が高かったのか。
張嶷の忠誠度を示すエピソードをご紹介したいと思います。
張嶷は長年南方の統治をしておりましたが、
体に麻痺症状が出ていたため蜀の首都・成都へ帰還する事になります。
張嶷は成都へ帰還すると麻痺症状はひどくなっており、
杖をつかないと起き上がれないほどの状態でした。
張嶷が自宅療養している中、
魏の狄道(てきどう)の県長・李簡(りかん)は蜀へ降伏したい旨を伝えてきます。
蜀の大将軍・姜維は李簡の降伏を信じて出陣することに。
張嶷は李簡が蜀へ降伏してくることを知り姜維が北伐戦を行うことを伝え聞きます。
そして張嶷は体がボロボロで立ち上がるのもしんどい中、
劉禅へ「私は麻痺症がひどくなって立ち上がることも難しくなっておりますが、
中原へ打って出る際には是非とも従軍したいと思っております。」とお願いします。
劉禅は張嶷の願いを叶えて北伐の参加を認めることに。
こうして張嶷は姜維の北伐戦に参加することになりますが、
出陣する際に劉禅へ手紙を送ります。
張嶷は劉禅へ「私は陛下から多くの恩寵を受けております。
今私は病にかかっておりいつ亡くなってもおかしくない状態であり、
陛下へ恩を返す前に亡くなってしまうことを恐れておりましたが、
北伐戦に参加することができようやくご恩をお返しするチャンスをいただく事ができました。
私は今回の北伐で涼州を有することができたのであれば、
涼州の守備について鉄壁の守りをご覧入れたいと思います。
しかしこの北伐戦が失敗してしまった場合、この身を捨てて奮戦してみせましょう。」
と手紙を送ります。
この手紙を見た劉禅は張嶷の忠誠心を感じ取り涙を流したそうです。
ボロボロの体で魏軍と激闘を行い戦闘中に亡くなってしまった張嶷
張嶷は姜維率いる北伐軍に参加することになります。
蜀の北伐軍は狄道城に到着すると李簡が城門を開いて蜀軍へ物資を提供。
蜀軍は狄道城から物資を受け取ると涼州へ向けて進軍していきますが、
魏の迎撃軍を率いてきた徐質(じょしつ)と遭遇。
張嶷は自ら蜀軍を率いて指揮を取って徐質軍と激闘を開始します。
張嶷は徐質軍と激烈な戦いを行っている最中に亡くなってしまいます。
しかし張嶷軍は張嶷が亡くなっても撤退することなく徐質軍と激闘を継続して行い、
全滅してしまいます。
この戦いで張嶷軍は全滅して徐質軍が勝利を手にしますが、
徐質率いる魏軍の損害は張嶷軍の倍以上の損害を出しており、
決して勝利と言えるものではなかったそうです。
上記の張嶷のエピソードをご覧になればいかに蜀へ忠誠を誓っていたかおわかりでしょう。
レンは忠烈の一言がぴったりな張嶷を忠誠度ランキング3位に選ばせていただきました。
【奇想天外な夢の共演が実現 はじめての架空戦記】
忠誠度ランキング2位:劉禅を助けた忠誠心の塊蜀の五虎将軍・趙雲
蜀軍の肝っ玉将軍・趙子龍(ちょうしりゅう)。
三国志のゲームやライトノベル、
マンガで登場しないことはほとんどないと言っても過言ではない人物で、
蜀軍の中でも1位、2位の知名度を誇る武将です。
趙雲は知名度の高さもですが、
蜀の武将の中でもトップクラスの武勇と忠誠心を持った人物で、
長板の戦いでは単騎で曹操軍の大軍の中に突撃して行き、
曹操軍の大軍の中に置き去りにされていた阿斗(あと=後年の劉禅)や
劉備の奥さんを救出しております。
趙雲は上記のように劉備に忠誠を捧げており、
趙雲の忠誠度を知る上で劉禅と劉備の奥さんを救出した長板の戦いを外すことは、
できないでしょう。
しかし趙雲の忠誠心を示すエピソードは長板の戦いの活躍だけではありません。
今回は趙雲の忠誠心を表す新しいエピソードをご紹介しましょう。
関連記事:五虎大将軍 趙雲の死因は何だったの?三国志一の美男子の最期
関連記事:正史三国志と三国志注に出てくる趙雲はビックリするくらい全然違う!
諸葛孔明から物資を下賜されるが・・・・。
蜀の丞相・諸葛孔明が行った第一次北伐戦である街亭の戦い。
この戦いは馬謖(ばしょく)の失態のせいで蜀軍は要衝・街亭を保持することができず、
撤退することになります。
趙雲はこの街亭の戦いに参加しておりませんでしたが、
別働隊を率いて曹魏の迎撃軍を引き付ける役目を負って箕谷(きこく)へ出陣。
魏軍は趙雲が箕谷へ向かってきている事を知って蜀軍本隊がやってきていると考え、
多くの軍勢を迎撃に向かわせますが、
蜀軍が街亭で敗北してしまった為撤退することになります。
魏軍は趙雲率いる蜀軍が撤退することを知ると追撃を開始。
しかし趙雲はしっかりと兵士を統率して退きながら反撃して、
大敗北することなく益州へ撤退することができました。
孔明は趙雲率いる箕谷の軍勢が大混乱することなく軍需物資も失わずに、
撤退したことを知って「将軍絹が余っているからこの絹を兵士達へ分け与えてくれないか」
と趙雲率いる蜀軍へ絹を下賜。
だが趙雲は孔明へ「丞相。蜀軍は街亭で敗北しているのにどうして絹を下賜するのですか。
この物資は蔵へ入れて今年の冬に兵士達へ与えるのがいいでしょう。」と述べます。
孔明は趙雲の言葉を聞いて大いに喜んだそうです。
このように趙雲は国家の事を考えて行動しており、
蜀に対しての忠誠度は五虎将軍の中でもトップクラスと言えるのではないのでしょうか。
レンは趙雲を1位にしたかったのですが、
アノ蜀軍の武将の中で、
神様になった人物の方が趙雲よりも少し忠誠度においては上なのかなと考え直し、
忠誠度ランキング2位にしてしまいました。
忠誠度ランキング1位:劉備を裏切らずに従い続けた・関羽
劉備の義弟・関羽。
現在では神様として崇められており横浜の中華街へ行けば関帝廟を見ることができます。
関羽はそのため多くの日本人や海外の旅行者からも知られており、
知名度においては五虎将軍No.1と言えるのではないのでしょうか。
関羽は知名度だけがNo.1なのではなく、
劉備に対しての忠誠度においても1位と言えるのではないのでしょうか。
関羽の忠誠度を示すエピソードが残っているのでご紹介しましょう。
劉備は徐州(じょしゅう)曹操から奪って領有し小沛(しょうはい)に駐屯。
だが曹操軍の奇襲攻撃を受けてしまい敗北してしまいます。
関羽は下邳(かひ)城に駐屯して曹操軍と決戦する為に備えておりましたが、
劉備の妻子が曹操軍に囚われていたこと為曹操に降伏することに。
曹操は関羽を配下に加えるため侯の位をさずけて優遇。
だが関羽は曹操の配下になることなく劉備への忠誠を貫き通しておりました。
関羽は曹操に降伏した後劉備が袁紹の元に身を寄せている事を知ると
劉備の元へ帰る決意を固めますが、
曹操から受けた恩を返してから劉備の元へ帰還しようと考えておりました。
顔良を討ち取って曹操の恩に報いる
袁紹は曹操を討ち滅ぼすべく大軍を曹操の領地へ向けて侵攻を開始。
曹操は袁紹軍が白馬へ攻撃を仕掛けている事を知ると
関羽と張遼(ちょうりょう)に命じて迎撃させます。
関羽は曹操から受けた恩を顔良を討ち取る事で返そうと考えます。
関羽は白馬に到着すると顔良の旗印を発見すると一目散に馬を走らせて、
顔良を討ち取ってきます。
こうして関羽は顔良を討ち取って曹操への恩に報いると劉備の妻子を連れて、
劉備の元へ帰っていくのでした。
レンは曹操にラブコールを送られていながら、劉備への忠誠を貫き通した関羽こそ、
正史三国志・蜀書の中に記載されている武将達の中で、
忠誠度が一番高いのではないかと考え忠誠度ランキング1位に抜擢させていただきました。
関連記事:もし関羽が曹操の元に留まり劉備の元に戻らなかったらどうなっていた?
三国志ライター黒田レンの独り言
いかがでしたでしょうか。
正史三国志・蜀書から見た忠誠度ランキングをご紹介しました。
レンの独断と偏見でランキングをつけているため、読者の中には張飛がいないじゃんとか、
諸葛孔明がランキングに入っていないのはおかしいと思う方もいらっしゃるかもしれません。
しかしこのランキングはレンの独断と偏見でつけているため、
この機会に読者の皆様がそれぞれ自分の中での
蜀軍武将の忠誠度ランキングをつけてみて、
お気に入りの武将を発見してみてはいかがでしょうか。
参考文献 ちくま学芸文庫 正史三国志・蜀書 井波律子著など
関連記事:禁断の比較!蜀の五虎大将の忠義・実行力・容姿を比較してみた
関連記事:蜀(国家)が滅亡したら蜀の民や国に尽した人はどうなるの?
—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—