三国時代の英雄・曹操(そうそう)。
軍事においてはほとんど無敗と言われた戦歴を持ち、
政治においては優れた判断を下して、改革を行います。
他にも文学において金字塔を立てたりと百芸に優れた英雄・曹操。
こんなに優れた人物でありながらユーモアを持った人だったのを知っていましたか。
今回はユーモアに富んだ曹操をご紹介しましょう。
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意外な真実!?冗談大好きな曹操
曹操さん。
実は真面目な会議の席で冗談を言っているオチャメな性格だったのを知っていますか。
えーあの合理主義者で怖いイメージのある曹操さんが
そんな冗談を飛ばすような性格に見えないんですけど。
このように言われるはじめての三国志の読者は多いと思います。
でも本当なんです。
曹操が冗談を言うような性格であることを証明するため、
曹操のオチャメな一面がわかる逸話をいくつかご紹介しましょう。
改革をするべしとの会議の席において
曹操は東曹(とうそう=朝廷において高級官吏の人事を司る職)を
西曹と統合するべきであるとの進言を受けます。
曹操に進言を行った人物は、
東曹掾(とうそうえん=東曹の属官)の毛玠(もうかい)が、
目障りであったためこの進言を行ったそうです。
曹操はこの進言をした者へ
「太陽は東から昇って西へ沈む。
東西と言われいつも東が最初になっている。
どうして東曹と西曹を統合する必要性があるのかな」と述べたそうです。
真剣に進言をしてきた者に対して、
ちょっとユーモア溢れる曹操の返答だと思いませんか。
え!?全然面白くない。
そうですか。
では次の曹操のエピソードをご紹介しましょう。
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馬超との戦において
関中(かんちゅう)一帯の豪族達を集結させ盟主となった馬超(ばちょう)は
韓遂(かんすい)と一緒に曹操へ反乱を起こします。
曹操は馬超と韓遂率いる関中一帯の豪族達を討伐するため出陣。
曹操は初戦において馬超の奇襲攻撃を受けて、
討ち取られる寸前まで追い詰められることになりますが、
親衛隊隊長・許褚(きょちょ)や張郃(ちょうこう)達の奮戦により、
切り抜けます。
その後曹操は賈詡(かく)の進言を採用して、
馬超と韓遂の間を引き裂く離間の計を行っていきます。
曹操は馬超と韓遂の間を引き裂くため、韓遂に会う約束をします。
韓遂と曹操が会う約束している事を聞いた豪族達は曹操を見るため、
彼らの会見場所に押しかけてきます。
曹操は会見場所に豪族達や兵士達がやってくると彼らへ
「俺が曹操だ。目が四つある訳じゃなく、口が二つある訳じゃなかろう。
俺もお前達と一緒の人間だ。
しかしお前達と違う所がひとつある。
それはな。
俺はお前達より少しばかり頭がいいことだ」と大声で叫んだそうです。
豪族や兵士達は曹操の顔を見て、彼の声を聞いてキョトンとしたそうです。
どうです非常にユーモアあふれると思いませんか。
三国志の英雄や将軍の中で曹操に匹敵するほどのユーモアあふれる回答を
家臣や敵の豪族、兵士達に言っている人なんていないでしょう。
三国志ライター黒田レンの独り言
曹操は自分が冗談好きな為、冗談を言う友達とも付き合っていたそうです。
曹操を評価した数少ない人物・橋玄(きょうげん)も冗談が大好きで、
曹操と付き合っていました。
橋玄は自分が亡くなった後の話を曹操にします。
橋玄は曹操へ「もし俺が亡くなって君が俺の墓の前を通ったら、
酒と鶏をもってお参りしてくれよ。
もし俺の墓の前を素通りするようなら君の車が少し進んだ後に
腹が痛くなるように祈願しておいたからな。
でも君が悪いんだぜ。
だって俺の墓の前を素通りして酒も鶏も持ってこなかったんだから」と
曹操に向かって冗談をかましたそうです。
ここからも分かる様に曹操は自分が冗談好きであったから、
友達も冗談をいう人物を好んで付き合っていたのではないのでしょうか。
参考文献 富山房インターナショナル 三国志素顔の英雄達 易中天著など
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