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曹操の字はうそつき小僧?複雑な氏+名+字の成りたちを深く広く解説!

2016年3月12日


 

劉備 曹操

 

中国の歴史モノでは、お決まりのように各人物の名前が

「○○、(あざな)は●●」とい うフレーズで紹介されます。

初めて目にした時はハテナですよね。「何だ、字って?」と思ったはずです。

中国では王朝時代まで、一般的に姓名とほかに字というものが使われていました。

姓の役割 は現代と特に変わりはありませんが、名と字については少し特殊です。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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姓と名と字

皇帝いっぱい

 

名は諱(いみな)といい、古来中華文化圏ではとても神聖なもので、これを直接呼ぶのは大 変失礼なことであり禁忌でした。

書き物などで時の皇帝の諱を避けて別の字に置き換えたりすることもあったほどです。

名(諱)を口にして許されるのは、本人を除けば原則、目上の人だけ。

具体的には主君や上司、両親や兄姉です。

しかし単に年上ならいいというのではなく、どちらかというと「従わなければならない相手」でしょうか。

名だけを呼ばれることには、どことなく上下関係や支配されている感が伴います。

なので弟妹や友人、同僚など同等の人間はもちろん、部下が名で呼びかけることなどもってのほかでした。

従属関係なくして名を呼ぶケースといえば、敵を罵倒する時くらいです。

しかし名前を直接呼べないのでは日常に不便が生じます。

そこで登場するのが字です。

字は 諱の代わりとなる呼び名で、同僚や友人たちは字で呼び合います(目上の人は諱、字どちらでも呼ぶこともあります)。

しかしそれでも、字を呼べるのはやはり一定の間柄あってのことで、

親しくない人同士は諱でも字でもなく、姓+官職名(例:孫将軍)など、かしこまっ た呼び方をしたことでしょう。

さて、昔の中華圏の人に姓・名・字があったことは上述の通りですが、

これらの組み合わせ 方には一応の決まりがあります。

ところがこの字というものが現代にはない概念ゆえに、取扱いがややこしかったりします。

たとえばよくあるのが「曹操孟徳」や「劉備玄徳」「諸葛亮孔明」と書かれているケースですが、厳密には正しくない表記とされます。

例外的に史書 などでたまに一続きに記されている例はありますが、

それはあくまで暗黙の了解として“字” の一字が省略されているだけでしょう。

現代の我々には感覚がないのでなかなかピンとこないのですが、

一体これのどこがマズイのかと、たとえば柴田勝家のあだ名がカッちゃんだとします。

極端な話をしますと、このカッちゃんが字みたいなものになります。

 

曹操

 

※かなり極端な話をしてます! 字は当時、フォーマルに使用されていた名前です。

つまり「曹操孟徳」というのは、「柴田勝家カッちゃん」と言っているようなものなのです。

違和感がありますよね。「柴田勝家」「柴田カッちゃん」とは言いますが(言うか?)、「勝家 カッちゃん」とは言いません。

同じように、フルネームで呼ぶ時は、普通は「曹操」か「曹孟徳」です。

「曹」は苗字なのでどちらにも使えます。

「操孟徳」はアウトです。字はあくまで諱の代わりなので、二つ並べては字の意味がなくなってしまうのです。

 

 

字をつける時期

魏武将 はじめての三国志 ゆるい

 

ところで字はどのタイミングでつけられたのでしょうか?

我らがマナーバイブルシリーズ『礼記』によると、

「男子は 20 歳で加冠して字をつけ、女子は 15 歳で加笄して字をつける」と規定されています。

加冠とは髪を結って冠をつけること、 加笄は髪を結って簪を挿すことで、日本でいえば烏帽子と髪結いの儀みたいなものですね。

いわゆる成人式です。

つまり男子は 20 歳、女は15 歳で成人とされ、字をもらったのです。

ひるがえせば、字がないのは未成年だということなんですね。

ただし、『礼記』規定では一応そういう風になっていますが、実際のところは不明です。

 

太史慈 孫策

 

孫策(そんさく)は 20 歳より前に家督を継いでますし、

孫権も 15 歳で県知事になっていますから、場合によっては 20 歳を待たずとも、

一人前と認められた時点で字をもらっていた可能性もあります。

ちなみに『礼記』の規定にもあるとおり、字は男性だけでなく女性にも与えられました。

ただ女性は男性に比べ歴史的にフルネームが残りにくいため、字まで記録されている人は滅多にいません。

そのレアケースが三国時代に才女として名高かった蔡文姫です。

彼女の姓名 は蔡琰で、字が文姫(一説には昭姫)と『後漢書』に記されています。

 

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字のつけ方

みんなで魏志倭人伝(夏侯惇、典偉、夏侯淵、許長、張遼、曹操)

 

それにしても“呼ばれない用”の諱の代わりとなる“呼ばれる用”の字はどのようにして決めていたのでしょうか。

実は字のつけ方には、いくつかの法則があります。

もちろん、すべての字がそのパターンに当てはまるわけではないのですが、一定の傾向はあったようです。

それを大きく次の5つに分けて説明してみます。

 

1名と字が同義・類語

2名と字が連想関係

3名と字が対義語

4書物などの一節

5排行

 

1名と字の漢字が同じ意味のパターン

孔明 コペルニクス

 

たとえば蜀の軍師・諸葛亮は、字が孔明です。

「亮」も「明」もともに「明るい」という意味です。

その諸葛亮の兄で呉の重臣・諸葛瑾は、字が子瑜。

漢代の漢字字書『説文解字』に「瑾瑜は 美玉である」とあることから、

「瑾」と「瑜」は「美しい玉石」という同じ意味の字であることが分かります。

そして同様にこの二文字が逆パターンで使われているのがご存じ、呉の智将・周瑜、字公瑾です。

面白いですね! また、呉の孫権もこれに含まれます。

孫権は字が仲謀で、「権謀術数」の四字熟語でもある ように、「権」と「謀」はともに「はかる・はかりごと」という意味です。

 

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2名と字の漢字に関連性があるパターン

趙雲

 

たとえば蜀の勇将・趙雲は、字が子龍。

「雲」と「龍」です。どちらも天空という共通点があります。

また、関羽も字が雲長で、「羽」と「雲」なので、同様です。

ここからすると、張飛が正史『三国志』では字が益徳なのに、『三国志演義』で翼徳になっ ている理由もうかがえそうです。

元々「益」と「翼」は漢語的に発音が近いというのもあり ますが、

「飛ぶ」と「益す」よりも、「飛」と「翼」の方が何となくバランスが良くて収まりがいいように思われます。

更に、孫権の兄、孫策もこれに含まれます。

孫策は字が伯符。

「策」は竹製の文字を記すも のや天子の命令(政策)の意味があり、

「符」も竹製の文字を記すもので天子の勅命(符命) の意味があります。

全く同義ではありませんが、関連性がありますね。

また、孫兄弟の名と 字はお互いに連想関係にあるとも考えられます。

「策」―「謀」、「符」―「権」

前者は策謀ですし、「符」は権力者の出すお触れみたいなものです。

場合によってはもしか すると孫策は伯謀、孫権は仲符になっていたかもしれませんね。

 

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3名と字の漢字が正反対の意味(対になる)パターン

 

呂蒙

 

たとえば呉の勇将・呂蒙は、字が子明。

「蒙」は「暗い」という意味で、「明」は「明るい」 です。

しかしこれだと、大切な諱にネガティブな漢字が使われていることになり、何とも不思議ですよね。

その理由となるかは不明ですが、

かつて、魔物から嫌われるよう=長生きできるようあえて子どもに不吉だったり悪い意味の名前をつける風習が存在しました。

身近ではアイヌ文化で行われていたことが知られていますが、一説には中国の安徽省あたりにも同様の風習があるといわれ、

曹操の幼名(まだ字がない子ども時代の呼び名)の「阿瞞(瞞ちゃん)」もそれだとされています。

「瞞」は「欺瞞」とか「あざむく」の意味ですね。

 

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4有名な書物の一節からとったパターン

劉備 黒歴史

 

たとえば劉備の字は「玄徳」。

これは一説によると、道家の教典『老子』にある

「生み出しても所有せず、大事を成してもふんぞり返らず、人より得意だからといって仕切り屋にならない。これを玄徳という」という一説からとったのではないかと言われています。

道家において“玄徳”というのは、「玄妙なる徳や理」という意味を持ちます。

また曹操もこのパターンだと言われます。

こちらは儒家の教典で、「性悪説」でも有名な『荀子』の「これによって生き、これによって死ぬ。これを徳操という」が出典とされています。

“徳操”は「モラルとマナー」とか「道徳と教養」とか「品行」といったような意味です。

劉備も曹操も、生きる上での心構えのような字で、何だか似ていますね。

 

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5排行

排行とは、おおざっぱにいうと、兄弟や親戚内の同世代に共通する一字をつけたり、

または 生まれた順序を示す漢字をつけるといった法則のことです。

排行のケースは大まかに三つ。

 

1)兄弟の順序を示す漢字+兄弟で共通の漢字

最もポピュラーな配列は「伯仲叔季」です。

これはマナーバイブルシリーズ『儀礼』や、後漢に編集された儒学経典の考証本『白虎通義』に、

兄弟の順序を示すものとして解説されていますが、日本でいうところの太郎・次郎・三郎と同じで、

「伯」が長男、「仲」が次男、「叔」が三男、「季」が末っ子となります。

 

日本で両親の兄姉を伯父・伯母と書き、弟妹だと叔父・叔母と書くのも、実はこれと同じです。

さて、このケースで有名な例には、司馬懿の兄弟「司馬八達」がいます。

 

伯達(朗)、仲達(懿)、叔達(孚)、季達(馗)、顕達(恂)、恵達(進)、雅達(通)、幼達 (敏)

兄弟で「達」の字を共有しています。

司馬懿は仲達なので次男ということが分かりますね。

また曹操のブレーンである荀彧の父親の兄弟「荀氏八龍」もこのパターンです。

伯慈(倹)、仲慈(緄)、叔慈(靖)、慈光(燾)、孟慈(汪)、慈明(爽)、敬慈(粛)、幼慈 (旉)

 

こちらは「慈」の字を共有していますね。

なお「幼」は「季」と同じで末っ子を意味します。

ちなみに「伯」の代わりに「孟」が使われる場合もあります。

「伯」と「孟」はともに一番上を表すことは変わりないのですが、全く同じものでもなかったようです。

『白虎通義』に よると、嫡出の長男は「伯」で、庶子の長男は「孟」を使うのだと言います。

そうすると、上述した荀氏八龍の荀汪(孟慈)や曹操(孟徳)は、実は正妻の子ではなく妾 の長子、と読み取ることもできます。

ただしこれも絶対ではないので、あくまでそういう可 能性があるという話ですが。

 

2)兄弟の順序を示す漢字+兄弟で異なる漢字
「伯仲叔季」の法則を用いつつ、二文字目はそれぞれの諱と関連づけているタイプです。

有名なのは先ほども登場した孫策・孫権兄弟です。伯符と仲謀ですね。

 

3)兄弟で共通の漢字+異なる漢字
たとえば袁紹の子ども達は、第一字に全員「顕」がついています。

曹操の子どもも同様に、全員「子」がついています。こういったパターンですね。

 

三國志ライター 楽凡の独り言

baienfu

 

少し長かったですが、いかがでしたでしょうか。

名と字の関係が分かると、中国史の世界がより味わい深いものになると思います。

三国志』 の登場人物たちの名前を見ながら、そこにどんな意味が秘められているのか考察してみるのも一興です。

 

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HN: 楽凡 自己紹介: 歴史専攻は昔の話、今は漢文で妄想するのが得意なただのOLです。 何か一言: タイムマシンが欲しいけど発明されたくない葛藤。

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