陸遜も参戦した合肥の戦い(第四次戦役 234年)を分かりやすく解説

2018年2月27日


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蜀の諸葛孔明による北伐は、234年が最後になります。

「死せる諸葛、生ける仲達を走らす」で有名な「五丈原の戦い」です。

 

このとき呉は蜀に呼応し、魏を攻めました。「合肥新城の戦い」です。

今回はこちらの戦いにスポットを当てていきましょう。

 

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233年に合肥に新城が築かれる

 

呉の都である建業に近い魏の重要拠点「合肥」は、孫権(そんけん)にとってもっとも邪魔な存在です。

赤壁の戦いの後から再三に渡り合肥をせめましたが、

魏の名将・張遼(ちょうりょう)の活躍もあり攻略できずにいました。

 

対呉の総司令官であった曹休(そうきゅう)の後任である満寵は、

合肥の城の位置が不利であることを明帝(曹叡)に進言し、

合肥に新城を築くことを許されます。

 

233年、孫権は自ら兵を率いてこの合肥新城を攻めますが、

満寵(まんちょう)の伏兵の罠にかかり撃退されます。


234年、合肥新城包囲戦

 

翌年も孫権は諦めることなく合肥新城を攻めます。

今回は蜀の諸葛孔明と打ち合わせた東西・二方面からの魏への侵攻でした。

孫権は好機と見て10万の兵を率いて出陣します。

 

 

孫権は直接合肥新城へ向かい、陸遜(りくそん)諸葛瑾(しょかつきん)

には一万の兵で襄陽に進軍させます。

さらに孫韶と張承をもって淮陰へ攻め込ませました。

合肥新城のある揚州、襄陽のある荊州、淮陰のある徐州の三州を一気に攻めたことになります。

 

本命である合肥新城を落とすために、

近隣の魏軍を引きつけておくのが、陸遜や孫韶の役割だったと考えられます。

 

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明帝の親征

 

これに対して満寵は合肥新城を放棄し、戦線を北の寿春まで下げることを明帝に進言します。

しかし明帝はこの提案を認めませんでした。

合肥を敵の拠点にされると大変な事態になる可能性があったからです。

 

明帝は、諸葛孔明の北伐に立ち向かう司馬懿に援軍を送りながらも、

決して陣を出て戦うことのないように司馬懿に指示します。

守りに徹せよということです。

そして自身は南下して孫権の侵攻阻止に向いました。

 

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満寵の火計により孫権はまたも敗れる

 

合肥新城の守将は張潁であり、防戦に必死の状態です。

戦線後退を却下された満寵は気持ちを切り替えて合肥新城の援軍に向います。

そして到着するや数十名の精鋭で風上から火を放ち、呉の攻城兵器や兵糧を焼き払いました。

この戦いで孫権は甥の孫泰を射殺されています。

 

孫権はこの奇襲の損害だけでなく、陣中に疫病が流行っていることと、

明帝が自ら兵を率いて親征してくることを知り、撤退を決断します。

これを聞いた襄陽攻め、淮陰攻めの両軍も退却しました。

またもや孫権は満寵にしてやられたわけです。


  

 

三国志ライターろひもとの独り言

 

この合肥新城の戦いでは、陸遜は襄陽へ向かっただけで撤退しており、

活躍の場はほとんどありませんでした。

陸遜は上大将軍なのだから合肥新城攻めの総大将をすべきだとも思いますが、

荊州全域の総司令官という立場もありましたから、手一杯だったのでしょう。

 

なにより合肥には孫権のこだわりがありました。

曹操や曹丕らが健在だった頃から孫権はしきりに合肥を攻めています。

君主たる孫権が直々に出陣していることが多いのが特徴です。

それだけ重要な拠点だということですが、

何としても自分の手で制圧したいという孫権の気持ちも伝わってきます。

父である孫堅や兄の孫策に匹敵する戦上手であることを示したかったのかもしれません。

 

合肥侵攻は諸葛孔明の北伐に並ぶ回数です。

東と西からこれだけ攻められても崩れることのなかった魏もやはり凄いですね。

 

手に汗握る緊迫した合肥新城を体感したい方は、

三國無双の合肥新城の戦いのステージに挑戦してみるのもいいかもしれません。

登場してくる武将が史実とはやや異なるものの、雰囲気は味わえます。

満寵が呉軍に到達する前に撃破するという条件を満たせば、秘蔵武器が入手できるようですよ。

 

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-三国志の雑学, 執筆者:ろひもと理穂
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