荀彧がもらった空箱には一体どんな意味があったのか!?

2018年7月19日


 

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空箱を貰い戸惑う荀彧

 

曹操(そうそう)から「我が子房(しぼう)」と言われるほど頼りにされた荀彧(じゅんいく)

荀彧は曹操の期待通りに軍事や政治などに力を発揮。

更に荀彧が推挙してきた人材は全て一流の人物で、

ほとんどが大臣等の重役になり、魏の国に大きく貢献します。

 

そんな荀彧ですが、曹操から空箱をプレゼントされます。

そして荀彧は曹操から空箱をプレゼントされた後に亡くなってしまいます。

一体荀彧はこの空箱から何を見出したのでしょうか。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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荀彧の思いとは

光武帝を解説する荀彧

 

そもそも荀彧はどのような思いを持って曹操へ仕えたのか。

正史三国志によると荀彧は後漢王朝を復興させるような言論を多く曹操へ進言しています。

例えば赤壁(せきへき)の戦いの後、董昭(とうしょう)らが曹操を公の位にするべきじゃないかと考え、荀彧へ相談。

 

荀彧は董昭の意見を聞いて

「曹操は朝廷を守るために今まで戦ってきたのだ。

だから公の位に押し上げるような事をするのはよくない」と反対意見を述べます。

荀彧

 

荀彧のこの意見を考えると彼が後漢王朝を復興するため、

もしくは荀彧が曹操の配下となって彼の勢力を育て、

後漢王朝を守護させる思惑があったと言えるのではないでしょうか。

 

もし荀彧が後漢王朝の復興もしくは曹操の勢力を用いて、

後漢王朝の強力な守護者にする思惑がなかったら、このような事を言わないはずです。

また正史三国志の作者・陳寿(ちんじゅ)は荀彧が志を全うできなかったと評価しており、

荀彧の志とはなんぞやと考えると上記で述べた、

後漢王朝を復興させる等が志と言えるのではないのでしょうか。

 



曹操の考えとは

献帝に提案する曹操

 

荀彧は上記で後漢王朝の復興等を志していた紹介しましたが、

曹操は後漢王朝をどのように考えていたのでしょうか。

曹操自身の気持ちとしては後漢王朝の一家臣であろうと考えていたはずです。

夏侯惇

 

例えば曹操が執筆した述志(じゅつし)の令で

後漢王朝に取って変わろうと考えていない事が述べられています。

また「魏氏春秋(ぎししんじゅう)」では夏侯惇(かこうとん)が曹操へ「帝になればいいじゃん」と意見。

曹操

 

曹操はこの意見に対して

「俺は周の(ぶんおう)(殷王朝最大勢力を持っていたにも関わらず、

殷王朝に取って変わることなく忠義を尽くした人)になるんだ」と言っています。

これらのように曹操は後漢王朝に取って代わるつもりはないと推測することができるでしょう。

しかしこれらの事を繋ぎ合わせて、曹操が荀彧と同じ考え方だったと思うのは間違えです。

 

曹操は荀彧と違って後漢王朝を守り続けるつもりはなく、

息子達が後漢王朝を守るよう等と遺言で示していません。

更に曹操が良く言ってる「周の文王」ですが、

周の文王が亡くなった後、息子が殷王朝を倒して新しい王朝を作っています。

曹丕

 

これらの事を考えると曹操は「後漢王朝を自分の代で滅亡させるつもりはないけど、

後漢王朝を今後ずっと守り続ける事もしない」と推測できるのではないのでしょうか。

荀彧と曹操の意見が出揃った所で今回のポイントである荀彧と空箱のお話をしましょう。

 

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曹操からプレゼントをもらう

荀彧

 

曹操は孫権を討伐するため南方へ向けて出陣します。

この時曹操は軍を慰労するため後漢王朝へ荀彧を派遣してくれるようにお願いします。

後漢王朝は曹操のお願いを受け入れて、皇帝から派遣された証を荀彧に持たせて曹操の元へ派遣。

荀彧は寿春(じゅしゅん)に到着した時、濡須(じゅす)へいる曹操からプレゼントが送られてきます。

 

荀彧毒を飲んで亡くなる

荀彧

 

荀彧は曹操から送られてきた箱の中身を見てみると中は空っぽでした。

荀彧は曹操から空箱が送られてきたのか分かりませんでしたが、

直ぐに何事かを感じて機密文書の処分を済ませると

毒を飲んで亡くなってしまうのでした。

 

どうして荀彧は空箱を見た後に自殺したのか?それは・・・・

 

荀彧はどうして空箱を見た後に亡くなったのでしょうか。

有力な説は荀彧が曹操から空箱を送られた事で、曹操から用済みだと宣言されたと考え、

自殺をしたのだと言われています。

 

しかし本当にそうなのでしょうか。

曹操は荀彧を褒めちぎっています。

例えば、彼が推挙した人物が全て優秀であった事から

「荀彧や荀攸(じゅんゆう)が推挙した人物は全て信頼に値する。

私は死ぬまでこの事を忘れない」と言っており、

これだけ褒めちぎっている人物に用済みだと言い渡すような事をするでしょうか。

このことからこの空箱には違う意味があるように思えます。

では一体何なのか。

レンの推測は病死説+憂い説です。

 

空箱には特に意味がなかった!?

亡くなった荀彧

 

荀彧は寿春に着いたとき病にかかり、寿春で病を癒すために養生していたそうです。

そこに曹操から荀彧の元へ空箱が送られてきます。

荀彧は空箱を曹操から送られてきたかなり焦ったと思います。

荀彧は曹操の意図を読みまくっても曹操の意図が分からず、

最後は悩み、憂いて亡くなってしまったとレンは考えます。

   

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レンの独り言

 

曹操はどのような意図を持って荀彧へ空箱を送ったのでしょうか。

レンは曹操が荀彧へ空箱を送った意図として、

仕事がないからゆっくり寿春で病を治せとの考えを伝えたかったのではないのかなと思います。

曹操の初期の頃からの家臣で苦労を共にしている荀彧だからこそ、

いたわってやりたいとの気持ちで送ったのであれば、

曹操の悪役イメージを払拭できるのですが、いかがでしょうか。

 

参考文献 ちくま学芸文庫 正史三国志魏書等

 

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袁術祭り

 
 

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