姜維と魏延性格は真反対だけど似ている所があった!!

2018年8月15日


 

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姜維と魏延

 

(しょく)の名将であり諸葛孔明(しょかつこうめい)から色々と教え込まれた姜維(きょうい)

そして諸葛孔明の時代に蜀軍の中で一番優れていた将軍として、活躍していた魏延(ぎえん)

二人は性格も真反対ですが、似ている所があるのを知っていましたか。

今回は二人の似ている所を調べてみたいと思います。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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姜維と魏延の似ている所その1:たたき上げの将軍

たたき上げの将軍・魏延

 

姜維と魏延の似ている所その1としては二人ともたたき上げの将軍の所です。

魏延は劉備(りゅうび)が荊州の南部を領有した時に家臣として加わり、地道に実績を上げていきます。

そして益州を劉備が手に入れた時、魏延は張飛(ちょうひ)よりも上の扱いを

受けることになります。

更に劉備が亡くなった後、魏延は蜀軍重鎮の将軍達が次々と高齢で亡くなって行く中、

蜀軍を背負う将軍として蜀軍の中でも最優秀の軍人となっていきます。

 

姜維も蜀に降伏した後、孔明の側近として付き従っていきます。

孔明から色々と軍や考え方について教わり、

軍事においては趙雲や魏延らと一緒に北伐に従軍したこともありました。

その結果、孔明が亡くなった後蜀軍でめきめきと頭角を現していき、

蜀の後半期には大将軍にまで出世することになります。

このように魏延と姜維二人はたたき上げられて出世している

将軍としての点が似ているといえるでしょう。

 



姜維と魏延の似ている所その2:功績をあげようとするもスルーされてしまう所

功績をあげようとするもスルーされてしまう姜維

 

魏延はたたき上げの将軍だったためか功績を挙げようとしますが、スルーされてしまう所です。

例えば孔明の北伐戦に参加したとき魏延は孔明へ「魏軍は蜀と魏の国境に兵力を固めているので、

私に別働隊を率いさせてくれれば長安へ急襲をかければ簡単に占領することができるでしょう」と進言。

しかし孔明は彼の進言を取り上げることをしないでスルーするのでした。

 

このようにせっかく進言してもスルーされてしまう魏延でした。

姜維も常に功績を挙げようと必死でした。

姜維は費禕(ひい)が蜀の政権のトップの時に「北伐をさせてください」とお願いします。

しかし費禕は

「孔明様にも成功できなかった北伐を我らが成功することができるわけがない。

だから君に北伐を許すわけにはいかない」と反対されてしまうのでした。

姜維も魏延と同じく進言をするも残念ながらスルーされてしまう所は

非常にている所といえるのではないのでしょうか。

 

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姜維と魏延の似ている所その3:ボッチになってしまう

ボッチになってしまう姜維

 

姜維と魏延の似ている所その3はボッチになってしまう所です。

魏延は孔明が亡くなった時に撤退することが決まると

「孔明がいなくなっても俺がいるではないか。撤退することなんてない!!」

と蜀軍の将軍達へ進言します。

 

しかし誰も魏延の言葉を聞きいれはしませんでした。

更に魏延はこの事がきっかけで撤退する時に

一人ぼっちで残されてしまうかわいそうな仕打ちを受けてしまいます。

姜維も魏延と同じく独りぼっちにされてしまいます。

姜維は大将軍になると何度も北伐を行いますが、その都度失敗してしまいます。

そのため周りの将軍からも「もう北伐やめろよ」といわれてしまいます。

 

更に姜維は軍事に熱中してしていたため、蜀の首都・成都に戻らなかったせいで、

成都と意見が合わなくなってしまいます。

この結果、姜維と政権中心部の意思が合わなくなってしまい、

魏の大軍が蜀へ侵攻してきた時も連携が取れなくなってしまうのでした。

このように魏延と姜維二人がボッチになってしまうところも

似ているところといえるのではないのでしょうか。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レンの独り言

 

姜維と魏延の似ている所を紹介しましたが、将軍としての得意分野はぜんぜん違います。

魏延は局地戦にめちゃくちゃ強く、郭淮率いる魏軍と対戦したときには大勝利をおさめます。

では姜維の得意分野はどこなのでしょう。

 

それ一地域全体を視野に入れた戦いにおいて得意だと思われます。

例えば蜀の末期、魏の大軍が漢中へ攻め込んできます。

このとき姜維は漢中を守備するため剣閣に籠って魏軍に連戦連勝していました。

このように姜維は一地域を視野に入れた戦いなら力を発揮する人で、

魏延よりも優秀であったと思われます

(魏延が地域を視野に入れた戦いを行ったことがないのでなんともいえませんが)

二人の将軍の違いもちょこっと紹介した所で今回は終わりにしたいと思います。

 

参考 ちくま学芸文庫 正史三国志蜀書など

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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