おデブは一日にしてならず董卓を肥満させた儒教の教えとは?

2018年8月20日


 

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董卓

 

董卓(とうたく)呂布(りょふ)によって殺された際、

その肥え太った身体からはおびただしい量の脂が流れ出したと伝えられています。

そして、その様を見て面白がった兵が董卓のへそに灯心を挿して火をともしたところ、

その火は数日間揺れ続けたのだとか…。

 

そんなおデブ伝説を持つ董卓ですが、彼は元々おデブさんだったわけではありません。

ではなぜ、彼はおデブさんになってしまったのか?

董卓のおデブさんになるまでの軌跡を追ってみましょう。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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両利きの弓の名手・董卓

両利きの弓の名手の董卓

 

董卓がなぜおデブさんになってしまったのかを語る前に、

元々の董卓の体型をさらっておきましょう。

 

董卓は若かりし頃、

馬に乗りながら右でも左でもどちらの腕でも

百発百中で的を射抜くことができる弓の名人でした

 

通常弓を操る人というのは片腕に筋肉が偏ってついてしまうものですが、

董卓は両方の腕に筋肉がバランスよくついていたことでしょう。

 

そして、馬に乗りながら弓を引くということは、そうとうな平衡感覚の持ち主だったということ。

体幹はバッチリ鍛えられ、脚にも胴体にもしっかりと筋肉がついていたに違いありません

 



相国になって酒池肉林

呂布と董卓

 

おそらく引き締まった肉体をお持ちだった董卓ですが、

彼の体に変化を及ぼす事件が起こります。

外戚・何進(かしん)が宦官暗殺計画を企てて失敗した後、命を落とした何進の恨みを晴らすという名目で

袁紹(えんしょう)袁術(えんじゅつ)が宦官を皆殺しにせんと暴れまわりました。

 

その混乱の最中、少帝(しょうてい)陳留(ちんりゅうおう)の手を引いて逃げる一人の宦官の姿がありました。

中常侍・段珪(だんけい)です。

段珪はなんとか少帝と陳留王を連れて小平津まで逃げ延びたものの、

軍を率いる董卓に追い回されて行き場を失い、自ら命を絶ってしまいます。

 

こうして董卓は少帝と陳留王の2人を手中に収めることができたのです。

2人の皇族を保護したことによって董卓の地位は一気に高まります

 

その後、頭を失った何進軍を吸収したり、

呂布を懐柔して丁原(ていげん)を葬り去って丁原軍を吸収したりして強大な軍事力を手に入れた董卓は、

少帝を廃して陳留王を献帝として即位させ、ついには自ら相国となって政治を牛耳ったのでした。

 

相国にまでのぼり詰めた董卓は毎日のようにご馳走を貪って美酒を仰ぎ、

左右にたくさんの美女をはべらせて豪遊。

しかし、その財源は民草から搾れるだけ搾り取った税…。

民草が窶れていくのに反比例するかのように、董卓の体はどんどん肥え太っていったのでした。

 

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だって『孟子』にも書いてあるから!

孔子

 

たとえ相国になっても、日々鍛錬に励んで体を鍛えるべきだったのでは!?

と思う人もいるでしょう。

元々武芸を極めていた董卓ですし、

身体を鍛えることの重要性は十分に理解していたはずなのに…。

 

しかし、それはあくまで現代の私たちの価値観でのお話。

儒教が国教とされていた当時の人々の認識は異なるものだったようです。

儒家の経典の1つである『孟子』には、

心を労する者は人を治め、力を労する者は人に治めらる

という言葉があります。

 

心を労する、つまり頭を使う人は人を統べる能力を持ち、

力を労する、つまり体を動かして汗をかくことしかできない人は他人に使われるしかない

と訳すことができるでしょう。

 

当時の人々はこの『孟子(もうし)』の教えを

「人の上に立つ人物は体を動かさない」

と解釈していたようです。

いやいやちょっと待って、

「心を労する」はどこに行ってしまったの…!

 

しかし当然と言うべきか、董卓もその例に漏れず、

「偉くなった自分は汗をかいてはいけないのだ!」

と考えたわけです。

 

『孟子』が一番伝えたかった「心を労する」という言葉が

董卓の頭の中をかすめることすら無かったであろうことは、

彼の悪行を見れば明白ですよね…。

 

ただただ動かないのであれば、筋肉が落ちてむしろ痩せてしまうものですが、

董卓は酒池肉林ともいえる毎日を過ごしていたわけですから、

当然要らないお肉が体中についてしまったのです。

 

それも『孟子』を曲解してそれを盾にしながら

自らおデブへの道を突き進んでいますから目もあてられません…。

 

三国志ライターchopsticksの独り言

 

どうか皆さん、将来どんなに偉くなっても食事は腹八分目を心がけて

適度な運動をして健康な体型を維持してくださいね。

 

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君主論

 

 

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清朝考証学を勉強中。 銭大昕の史学考証が専門。 片田舎で隠者さながらの晴耕雨読の日々を満喫中。 好きな歴史人物: 諸葛亮、陶淵明、銭大昕 何か一言: 皆さんのお役に立てるような情報を発信できればと思っています。 どうぞよろしくお願いいたします。

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