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劉備

 

ビジネスは大抵は(えん)だったりします。

kawausoも歴史ライターなどをやっていますが、こちらが忘れた頃に、

昔、格安で仕事を受けた会社から「また出てもらえませんか?」と声が掛かります。

私のような自由業だと美味しい話は、そうそうないのですが、

収益的には渋い仕事でも、こなしていれば次の仕事に繋がるのです。

それは、現代だけではなく三国志の英雄、劉備にも繋がる話でした。

 

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あちらこちらで顔が利く劉備

あちらこちらで顔が利く劉備

 

正史三国志の劉備(りゅうび)は、傭兵隊長(ようへいたいちょう)としてあちこちの群雄に仕えています。

それは、公孫瓚(こうそんさん)劉表(りゅうひょう)袁紹(えんしょう)曹操(そうそう)呂布(りょふ)と多彩な顔触れであり、

劉備の生涯を追うだけで三国志の前半は語れる程です。

しかも、これらの群雄は、互いに敵対しており、劉備はその間を泳ぐようにして

乱世を生き抜いているのです。

どうして、劉備には、そのような事が出来たのでしょうか?

 


 

刺客まで接待して帰した桁外れのサービスぶり

刺客まで接待して帰した桁外れのサービスぶりな劉備

 

劉備がこうまで広い交友関係を持てた理由

それは劉備が非常に人当たりのよい人物であった事が影響しています。

簡単に言うと、劉備は常に控え目であり、人の話をよく聞き、

逆に自分は語らず、喜怒哀楽が顔に出る事なく長者の風がありました。

 

いつも、のんびりとした雰囲気で自分は謙虚で言葉少なく、

人の話をよく聞くような人なら、そりゃあ友達も多いでしょう。

さらには劉備、若い頃には自分を殺しにきた刺客を

それと知らずに歓待してしまい、殺すに忍びなくなった刺客は

自分の正体を明かし去ったという話もあります。(魏書)

この(けた)外れのサービスぶりは劉備の大きな特徴です。

 

激動の時代を生きた先人たちから学ぶ『ビジネス三国志

ビジネス三国志  

打算の無い親切さが福を呼ぶ

打算の無い親切さが福を呼ぶ陳平

 

人間は案外ズルいものですから、今をときめくような人には、

良い顔をしますし、出来るだけ便宜(べんぎ)を図り顔を売ろうとするでしょう。

でも、そういう時だけ良い顔をするのは上手くいきません。

何故なら、時の人というのは、たくさんの人がちやほやするからで

余程の人物でない限りは、あなたの親切など覚えてないからです。

 

劉備はよく打算的な人だと言われますが、前述したように

勘違いで刺客まで接待するような底抜けのお人好しの一面があります。

こうして、分け隔てなく様々な人物を厚遇したからこそ、

多くの人が劉備を覚えており、いざ困ったという時に、

手が差し伸べられるという幸運に浴したのです。


 

落ち武者の分際で袁紹の上客待遇の不思議

落ち武者の分際で袁紹の上客待遇の不思議な劉備

 

そんな劉備、西暦200年曹操暗殺計画に失敗して青州に逃げていきました。

しかも途中で徐州で反乱を起こして敗北、義弟の関羽(かんう)は曹操に捕まり、

張飛(ちょうひ)は行方不明という完全な落ち武者状態です。

 

しかし、青州刺史の袁譚(えんたん)は落ち武者劉備に対して歩騎を整えて

丁重にお出迎えして共に平原まで随行したのです、話はそれで終わりません。

袁譚から劉備を連れて来た事を知らされた袁紹(えんしょう)は部将を派遣して奉迎し、

自身も本拠地の(ぎょう)から二百里先まで出迎えているのです。

袁紹と顔良

 

当時の袁紹は北方四州を平定し、いよいよ曹操と雌雄を決しようという絶頂期

飛ぶ鳥を落とす勢いの袁紹がどうして落ち武者の劉備をそこまで厚遇するのか?

それは、劉備が平原の相だった時代に袁譚を役人として推挙していたからです。

 

袁譚にとっては、劉備は自分を官途につけてくれた恩人ですし、

もちろん袁譚の父である袁紹も無下(むげ)には出来ません。

そのまま劉備は客将に収まり、官渡の戦いでは袁紹を援護するのです。


  

 

 

情けは人の為ならず

情けは人の為ならずな劉備

 

ここで腹黒く、あちこちで打算的に顔を売る劉備を想定するのは簡単です。

ですが、劉備が袁譚を茂才(ぼうさい)で推挙したのは何年も前であり、

後々に自分がお落ち武者になると想定していたわけではありません。

 

精々、袁譚の父の袁紹は実力者だから恩義を売っておこう程度でしょう。

それが、曹操に敗れ窮地に陥った劉備を救ってくれたのです。

 

情けは人の為ならずと言いますが、助けられる余力があるなら、

割にあわなくても、あちこちで恩を売った方がいいのです。

助けてもらった人は、こちらの親切をずっと覚えていて

いつか、こっちが困った時に、助け船を出してくれるかも知れません。

 

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