敵役だけど、やっぱり曹魏がナンバーワン!


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桃園三兄弟

 

三国志演義(さんごくしえんぎ)』は、

徳が高く人望も厚い季漢の申し子・劉備(りゅうび)

武勇に長けた義弟である関羽(かんう)張飛(ちょうひ)

そして天下の奇才と称される諸葛亮(しょかつりょう)その他大勢の仲間たちと共に、

天下を狙う乱世の奸雄・曹操(そうそう)という強大な敵に立ち向かう

超壮大な勧善懲悪歴史群像ストーリーです。

 

このように悪の代名詞とされている曹操ですが、

彼が中原に礎を築いた魏は、

ド田舎辺境の地にある蜀や

農作業と漁ばかりしていそうな呉よりずっと都会的で魅力的。

 

今回は、蜀よりも呉よりも、

ずっとずーっと魅力的な魏という国についてご紹介したいと思います。

 

はじめての三国志:全記事一覧はこちら

関連記事:【曹魏クロニクル】220年~239年までの魏の歴史を紹介

関連記事:司馬懿は屯田のおかげで曹魏を乗っ取れた?理由に迫る!

 


 

三国随一の安定感を誇る魏

三国随一の安定感を誇る魏

 

曹魏の魅力の1つは、

その安定感の高さにあります。

内政にしても人口にしても食糧にしても、

どれをとっても蜀や呉より優れています。

魏がそれらを全て安定させ得たのは、

曹操の尽力があったからに他なりません。

 

曹操の高い政治手腕は、

まだ多くの群雄が中国大陸にひしめき合っていた頃から発揮されていました。

その当時は群雄たちがあちらこちらに出かけては戦争を起こしていましたが、

出先で食糧不足に陥ることが度々ありました。

食糧が底を尽きたら帰っていたのかなと思う人もいるでしょうが、

実際には近くに住む人々から徴収という名の略奪(りゃくだつ)をして(まかな)っていたのです。

 

そんなことを繰り返していたら、

食糧がまた尽きてしまうどころか、

民草までいなくなってしまいます。

食糧の補給はできなくなるわ、

兵の補充はできなくなるわの悪循環(あくじゅんかん)に陥るのです。

 

この悩ましい状況をどうにか打破できないかと考えた曹操は、

ある臣下の進言を採用します。

それが、屯田制(とんでんせい)です。

 

屯田自体は昔からあり、

出征先で兵士たちに畑を耕させるのが主でしたが、

当初の曹操の屯田制は拠点としていた許の周辺の民草に畑を耕させ、

それを兵士たちに守らせるというものでした。

 

これによって曹操は安定した食糧供給ラインをつくることに成功します。

食糧が安定して得られるようになると、

自ずと人口も増えていき兵力も高まります。

 

これが元で、

魏は三国随一の安定した国となったのでした

 


 

人材の宝庫

人材の宝庫

 

人口が増えるとそれに伴って優秀な人材も生まれるものですが、

魏の優秀な人材のほとんどは曹操が他からすっぱ抜いてきた者たちです

 

祖父・曹騰(そうとう)の審美眼を受け継いだ曹操は、

優秀な人材を見かければとにかくスカウト。

相手にその気が無くても、

罠に嵌めてまで自分の配下に入れてしまうほど

途轍もない執念で人材を集めまくっていました。

 

その甲斐あってと言うべきか、

蜀で諸葛亮が人材不足を嘆いていた頃、

曹操亡き後その遺志を継いで曹丕(そうひ)が興した魏は優秀な人材で潤っていました。

 

まだ漢王朝で消耗してるの?

まだ漢王朝で消耗しているの  


文化の中心地は魏!

銅雀台

 

現代日本では、

東京が文化の中心地にして発信地ですが、

三国時代の文化の中心地は、

間違いなく魏の都・洛陽にありました。

 

曹操が立ち上げた文学サロンに集った建安の七子や、

その息子である曹丕・曹植(そうしょく)兄弟を中心に

建安文学と呼ばれる五言詩が数多く生み出されました。

 

曹操亡き後は曹丕を中心に文学を尊ぶ風潮が生み出され、

以後、文学が武力に勝る力を持つようになります。

魏が滅んだ後も、

魏で生み出された詩の文化は

数々の王朝の興亡を乗り越えて漢民族の間で受け継がれ、

ついには漢民族のアイデンティティになるまでに成長を遂げました。

 

これほどの文化的功績は蜀や呉にはありません

魏は正史『三国志』で形式上

仕方が無く正統とされただけの王朝だったわけではなく、

名実共にナンバーワンの王朝だったのです。


  

 

 

三国志ライターchopsticksの独り言

三国志ライターchopsticksの独り言

 

曹操といえば憎らしい敵役のイメージがつきまとい、

曹丕といえば兄弟をいじめ抜いた陰険な奴だと思われがちですが、

彼らが築きあげた魏は、

漢民族が文化人としてアジアに君臨するために

大きな貢献を果たした王朝でした。

 

『三国志演義』を読むことによって

かけてしまった色眼鏡を一度外して魏王朝をじっくり見てみると、

意外な姿をその目に映すことができるでしょう。

 

はじめての三国志:全記事一覧はこちら

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