三国志は劉備や関羽、曹操、孫権等多くのメジャーで有名な人物から、晋の名将として讃えられた杜預や周魴の息子で孫呉の勇将・周処等マイナーな人物まで幅広く多くの人が活躍した時代です。
この時代には漢気溢れる人物や狡猾な人物、策謀に長けた人等様々な性格を持った人が数多く登場します。さて今回紹介する典韋も三国志の物語を彩った面白い性格の持ち主です。一体典韋はどのような性格の持ち主だったのでしょうか。
典韋の性格は??
典韋の性格は一体どのような性格だったのでしょうか。私の参考資料として愛用している正史三国志によると典韋は、漢気溢れる人物だったと言われており、現代風に言うと義侠心に富んだ人物だったと言い換えることができ、みんなに頼られるような人物だったのではないのかなと想像することができるでしょう。でも義侠心がどのような意味を持った言葉なのでしょうか。
義侠心とは??
上記で典韋の性格部分に触れましたが、義侠心とは一体どのような意味を持った言葉なのでしょうか。グーグル先生によると強いものを押え、弱きを助ける意味だそうです。まさに正義の味方(衛宮士郎が目指した正義の味方を想像すればわかり易いかと思います。)と言えるような存在です。
典韋はこの義侠心に加え、曹操を命懸けで守った忠誠心の塊と言える性格をもっていたと言えるでしょう。さて義侠心の意味や典韋の性格を紹介した所で彼の義侠心溢れ、頼れるアニキなエピソードを紹介しましょう。
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典韋の義侠心エピソード:強きを倒し、弱きを助けた!!
典韋は正史三国志によると人並み外れた筋力を持ちとあり筋肉隆々で花の慶次に登場する前田慶次みたいな感じだったのでしょう。そして彼の性格は上記で紹介したように義侠心溢れ、頼れるアニキな存在だったそうです。そんな彼は頼れるアニキな事もあり、知り合いも多く襄邑にいた劉氏という人物も彼の知り合いでした。この劉氏は李永と呼ばれる人物と仇敵関係にありとんでもなく険悪な関係であったそうです。典韋は劉氏が李永と仇敵関係にあった事を聞き、李永を殺害するべく動き始めます。
李永は元々富春と呼ばれる地域の長を勤めていたこともあり、多くの護衛が彼を取り巻いていました。典韋は李永に多くの護衛がいる事を知っていましたが、車に乗って悠々と訪問者を装って彼の邸宅に堂々と正面から入っていきます。そして典韋は車を降りると邸宅から出てきた李永を殺害し、そのまま堂々と正面から去っていき姿をくらましたそうです。この典韋の壮挙を知った近隣の豪傑たちは典韋を褒めたたえたそうです。自分を犠牲にして強きをくじいて他人を助けた典韋。義侠心に富んだ性格だったことを表すエピソードだと言えるのではないのでしょうか。
三国志ライター黒田レンの独り言
三国志には典韋のように義侠心に富んだ人物がたくさん登場します。典韋のほかに有名な義侠心を持った人物といえば劉備の義弟・関羽、劉備と孔明を引き合わせた徐庶なども義侠心に富んだ人物と言えるでしょう。
また三国志よりも遥か昔の時代にも義侠心に溢れた人物がいっぱい登場していますその中でも有名な人物なのは高祖・劉邦の軍師・張良やキングダムよりも少し前の時代に生きた戦国四君の一人として有名な信陵君なども義侠心溢れる人物として有名な人ですこのように三国志だけにキーワードを限定するのではなく、三国志+○○(ここでは義侠心)で歴史を調べると三国時代の義侠心溢れる人物や義侠心繋がりで三国志以前の時代にも触れることが出来るので、皆様もこのようにして歴史を楽しんでみていはいかがでしょうか。
【参考】 正史三国志魏書等
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